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騎馬武者と馬の運用方法


日本に馬が導入されて以後、日本史は馬を操る者が歴史を変えていきました。これが変化したのは戦国時代でしたが、それでも騎馬を操る武士たちの存在は無視できるものではなくなりました。


騎馬武者と馬の運用方法


------------中世日本における騎馬武者の運用------------

戦場において、騎馬武者は時代に応じて多様な運用をされていました。まず、天皇の時代から見ていきましょう。馬を輸入したての頃は、馬の数があまりにも少なく騎乗能力を持つ者の少なさから、騎兵はあくまで指揮官の存在を示す程度のものでした。

少数の騎兵部隊が突撃することくらいはあったでしょうが、戦争全体を左右したかと言われれば疑問符を浮かべるしかありません。日本で騎兵が幅を利かせるのは、軍事専門家である武士団の登場を待つ必要があります。

弓馬の者である武士は、騎馬武者として戦場を疾駆しました。平安時代における騎馬武者の運用は、主力兵科としてのものでした。戦いは騎馬武者の数で決まります。攻撃と機動によって敵をかき乱す騎馬武者は、その圧倒的な攻撃力で敵を圧倒しました。

歩兵はと言えば、訓練未熟で短い槍や薙刀を持つにすぎません。騎兵に敵う存在ではありませんでした。鍛えられた一部の歩兵は弓を使用しましたが、騎馬武者を圧倒できるほどではありません。

ただ、陣地の維持や防御において歩兵は役に立ちました。騎兵は突撃するのに整列などの突撃準備を必要とし、その間に騎兵を死守するのは中世の騎兵の基本的な役割です。つまり、平安時代の騎馬武者は完全な主力兵科として運用されていました。



------------南北朝前後における騎馬武者の運用------------

歩兵の弱さから平安時代では比較的強気な運用が可能だった騎馬武者ですが、歩兵が強くなることで運用が弱気になり始めます。歩兵に弓が積極的に使われるようになると、騎馬武者は雑兵の放った矢で命を落とすことが多くなります。

さらに、何度も述べたように鎌倉時代の騎馬武者は装備や弓から刀に代わっていきます。つまり、遠距離から敵を射すくめて敵をかき乱すのではなく、敵の乱れをついて突撃し、敵を壊乱させるような突撃重視の運用がなされるようになるわけです。




------------戦国時代における騎馬武者の運用------------

戦国時代になると騎馬武者の運用はさらに弱気になります。歩兵が長柄槍を装備して騎兵を地上の王座から引きずりおろし、弓が装甲を貫通し、鉄砲が騎兵の存在を揺るがしました。槍を装備して突撃力を上げるなど騎兵もがんばりますが、過去の栄光にしがみつくだけの兵科となってしまいました。

戦国時代の騎馬武者運用で面白いのが騎馬鉄砲隊の登場です。主力の座から引きずり降ろされて久しい弓騎兵が、鉄砲騎兵として復古したのです。とは言え、弱点まみれで使い勝手は悪かったですが。

騎馬武者、そして馬の運用方法の中で、古代から近代にかけて廃れなかった機能が一つだけ存在しています。それは、物資の運搬能力です。司令官をはじめとする人間を輸送し、大量に食物を輸送することは人間が簡単にマネできることではありませんでした。

馬の背を利用する荷駄は大量の食糧を運搬し、人の輸送においては人の足を超える速度で、人を遠くに送り届けます。騎馬武者が馬に乗って戦えなかったという説を主張する人でも否定しようのない活躍方法と言えるでしょう。

このように、馬は戦闘のみならず、後方支援においても果敢な運用がなされていました。もちろん、花形としての運用は騎馬武者と共に闘う戦闘員としてです。騎馬武者と馬の運用は、戦国時代の鉄砲のように勢力の盛衰を左右するほど重要なものであったのです。



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