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織田家の戦闘教義


まず、最初に織田家から見ていくことにしましょう。戦国時代を塗り替えた織田家は、やはり他家に比べて大きく違う戦闘教義を持っています。では、戦術と軍隊をそれぞれ確認してみます。


『戦術面』
機動戦
内戦作戦
野戦築城
三段撃ち

『軍隊面』
火力主義
遠戦主義(弱兵対策)
兵農分離
傭兵常備軍
水軍重視


まぁ、具体的にはこんなところでしょうか。では、それぞれ細かく見ていきましょう。


------------神速の織田軍団------------

まず、『機動戦』について。織田家は基本的に周辺諸国すべてが敵でした。敵の総兵力は織田家の総兵力を上回っており、もみつぶされてもおかしくない状況です。これを打破するために、信長は『内戦作戦』をとりました。

内戦作戦とは、敵の複数の軍隊がこちらを戦略的に包囲しようとするのに対し、分散した敵の軍隊をこちらの集中した軍隊で確固撃破する戦術です。これはナポレオンも得意とした戦術なのですが、戦闘の基本は包囲行動であるので、どちらかというと出来ればやりたくない戦術です。

織田家を包囲する信長包囲網は、それぞれの家が個別に見ると織田家より兵力が少ないからこその包囲同盟です。つまり、確固撃破の条件は整っています。そこで、信長は兵を高速機動させ、絶対的な戦力差をごまかし、包囲網陣営を圧倒します。

具体的な例としては、六条合戦です。本来なら三日はかかると言われた距離を二日で踏破(しかも豪雪の中を)しました。摂津に対陣している間に浅井・朝倉連合軍が京都に近づいた際にも、急いで摂津から帰還して京都を守り抜いています。

有名な桶狭間でも敵の奇をつくような機動。金ヶ崎の撤退戦でも異常な逃げ足を見せます。さらに信長本人は部下を捨てて高速機動するのが好きなようで体勢の立て直しなども素早い。少数での機動力は後継者の秀吉以上でした。

攻めるも逃げるも神速を持ってするのが織田家のお家芸なのです。ちなみに、この時の信長は金ヶ崎から京都までの約八十キロメートルを二日で爆走しています。

結果、総兵力で劣りながら織田軍は多くの場合に相手を圧倒する兵力を戦場に投入します。織田信長とナポレオンを対比することが多いのは、このように似た戦略機動を行ったからかもしれません。



------------でも、得意なのは防御戦------------

しかし、野戦において織田家は防御戦を得意とします。信長自身が奇襲の達人であるためにわかりにくいですが、実は堅実な防御戦闘こそが織田家の得意技であり、これは織田家に連なる家々に継承されることになります。

陣地を固めた攻城戦もそうですが、何よりも注目すべきは野戦における防御戦です。好例としては姉川と長篠の戦いでしょう。

機動力で生み出した数の優位を生かす縦深防御、そして強力な野戦陣地を作り、野戦における圧倒的有利を作り出す『野戦築城』。特に野戦築城は攻める相手を城攻めに近い状況に追い込むため、圧倒的な優位を誇ります。

織田家が鉄砲の運用を得意とするという点もこれにかかわってきます。鉄砲は発射に手間がかかるため、移動しながらよりも停止した状態の方が射撃が楽です。そのため、鉄砲は防御的運用が容易であり、これが織田家の強さを、さらに引き立てる結果になったのです。

有名な『三段撃ち』とよばれる銃兵交代、もしくは鉄砲交換射撃がその威力をさらに高めます。



------------信長個人の戦術能力------------

しかし、織田信長本人は攻撃・防御両面ですさまじい戦果を残すオールラウンダーでした。敵の虚を突く嗅覚がすさまじく、敵より兵力が劣った稲生・桶狭間・天王寺砦の戦いでは敵の弱点をたくみに突き、大勝利を得ています。

天性の戦勘から敵の撤退予測もすさまじく、夜陰に乗じて撤退しようとした朝倉軍に突撃をしかけ、これを壊滅させるという戦果を挙げています。

あまりにもすさまじい奇襲戦の実績です。防御戦にも優れているあたり、信長の能力の高さには頭が上がらない感じでしょう。

余談ですが、管理人は三英雄それぞれに対し、○○の〜という評価を勝手につけています。『奇襲の信長』、『機動の秀吉』、『野戦の家康』といった感じです。

そう言いたくなるほどに、信長の奇襲の数々は目を見張るものがあると思うのです。



------------軍隊編制について------------

さて、織田家の軍隊編制について見てみましょう。通常、中世の軍隊は貴族による騎兵と徴集した農民たちによる歩兵が基本形態でした。しかし、この編制は利点と弱点を併せ持ちます。

まず、多くの武士は職業的な兵士ではなく、普段は農作業を行って生活しています。主人から与えられた土地を耕し、呼び出されると戦場で戦います。農民も似たようなもので、普段は農作業をしています。

彼らによって構成される軍隊の利点はその強さです。農作業を行い、毎日肉体労働している彼らはその身体能力が高く、兵士としての資質に満ちています。そして、土地に深く結びついていることから、情けない姿を戦場で見せて帰国することは出来ないために、戦場でも勇敢です。

しかし、彼らは農作業に従事する期間は戦争に参加できません。そのため、戦闘が長引くことは農地の荒廃を意味し、彼らは農繁期の戦闘、長期戦の参加を嫌います。結果、戦国武将は戦闘に大きな制約を受けました。

織田家はこの中世的な軍隊から脱却するために、『傭兵常備軍』制度を積極導入します。兵士と農民を区別する『兵農分離』という戦闘教義です。職業軍人である彼らは田畑の面倒を見る必要がなく、一年中いつでも戦闘が可能です。

当時の戦闘を調べるとわかりますが、織田家と他家の戦争回数を確認すると、織田家の戦闘行動が非常に多数にわたることが見て取れるでしょう。

しかし、傭兵制は大きな弱点を持ちます。兵が弱いことです。傭兵は生きるために兵士という仕事をしているだけで、命より金が大切です。土地と結びついていないので評判を気にする必要もなく、結果として弱兵のそしりを受けます。

当時の兵質を語る言葉に、こんなものがあります。『三河兵一人は尾張兵三人に匹敵する』、『甲州兵一人は尾張兵五人に匹敵する』。三河は徳川、甲州は武田、尾張は織田です。さぁ、そろそろ理解できるはずです。

傭兵制を積極活用する織田軍は一年中行動可能な軍隊を得た代償として、戦国一の弱兵を率いる必要がありました。さらに、尾張は商業都市であるために兵士が軟弱で、傭兵と大差のない兵質です。信長は兵士の弱さに苦心しながら天下統一を目指す必要があったのです。



------------日本一の弱兵で勝つ方法------------

弱兵で勝つ方法を考えた信長はある結論にたどり着きます。兵士の質が如実に現れるのは接近戦であり、遠距離戦では比較的質の差の開きはわずかに少なくなります。もちろん、程度の差ではありますが、あるとないでは大違い。そのため、織田軍は敵と距離をとって戦う『遠戦主義』を採用します。

まず、信長が導入したのは三間半の長柄槍です。これは6.3メートルの長さがあり、機動力を犠牲にする代わりに敵の外から攻撃できる兵器です。戦略機動を得意とする織田軍が、戦術機動力を削ぐ槍を持つあたり、なかなか難しい世の中を実感します。

ちなみに、通常は三間(5.4メートル)が基本で、強兵で知られる上杉軍は二間半(4.5メートル)程度で機動的な戦術行動が可能だったと思われます。兵士の質が如実に現れた結果とも言えます。

次に鉄砲の大量配備と防御戦術です。弱い兵士で攻撃は難しいので、出来れば安全なところから遠距離攻撃をさせたいところ。そこで鉄砲を大量配備し、野戦築城での防御戦術。敵から徹底的に距離をとる努力を忘れないあたり、信長の頑張りが現れています。

そして、最後は奇襲。敵の虚を突けば弱兵でも問題なし。このようにして信長は天下を目指して戦いを続けました。



------------水軍の必要性------------

戦国時代は基本的に多くの戦いが陸で行われました。戦国武将にとって海は障害であって戦場ではありません。しかし、海軍にとって海は戦場です。そして、海を制する者こそ制海権を得て、戦いを有利に進めることができます。歴史上、制海権を奪われた側が戦争に勝利した事例はほとんどありません。

さて、基本的にですが海での戦いを重視する傾向が強かった地中海沿岸では海軍が充実します。しかし、東洋では中国の影響からか、彼らが河川での戦闘を多く行ったことから海軍ではなく水軍との呼び名を得ています。

これは実際には海で戦っている朝鮮、日本でも同様でした。戦国大名にとって海は邪魔な存在でしかありませんでしたが、輸送の役に立つのでそれなりに水軍を持っています。これがもっとも活躍するのは篭城時における兵糧運搬で、海に面した城は難攻不落となります。

中でも石山本願寺は難攻不落で、織田軍に包囲されても問題ありませんでした。海からの補給が続くので兵糧攻めもできません。妨害しようにも本願寺は毛利水軍を味方につけていました。織田の武将である九鬼嘉隆が挑みますが、惨敗します。

そこで、信長は九鬼にある最新兵器を与えました。それが鉄甲船です。通常なら装備しない大砲を積み込み、木で出来ているため火に弱い船の弱点を防ぐために鉄で装甲したこの船はたった六隻で三百の毛利水軍を撃退します(信長公記より) 。

無敵の毛利水軍を破った信長は制海権を奪取。補給が受けられなくなった本願寺は降伏します。戦国時代では珍しい、海戦が戦争の行方を決定付けた戦いでした。



------------織田家戦闘教義の総括------------

織田家の特徴をまとめるならば、機動・火力・防御の三つでしょう。奇襲は信長独自のもののため、分割して考える必要があります。

この織田家の戦闘教義は信長が滅びた後、織田家に関係の深い各家によって継承されることになります。




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