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おまけ・日本剣術と戦国時代の刀


日本人にとって、日本刀は武器の中でも特別な地位を占めていると言えるでしょう。誰もが純粋に、世界で一番切れ味のいい武器だとか、最強の接近兵器だと思ってしまいがちです。

おまけ・日本剣術と戦国時代の刀

しかし、少しでも戦国時代を勉強した人はこう言います。大河ドラマはファンタジー、刀は首を切るのにしか使えなかった。実際の主力武器は槍と鉄砲。弓が最も多くの兵士を殺した。つまり、刀などクソの役にも立たない。

本当でしょうか。本当っぽく聞こえます。ですが、ひとつ前のページを読んでくれた方なら、そこに疑問符を投げかけるべきであることは理解できたはず。とりあえず、このページではさらに日本刀を擁護するための資料を提示しようと思います。

ですが、忘れないで欲しいのは刀が基本的にサイドウェポンであるということです。決して戦場の華型であったわけではなく、あくまでも使い勝手のいい武器の一種にすぎないということです。では、せっかくなので刀の短所から語ってみるとしましょう。

まず、刀の短所としてもっとも重要なのは射程の短さです。柄が短く、大部分が金属の刃部分なので、構造上長くできません。そして、戦いは射程が長いほど有利なので、これだけで刀の微妙さがわかってくると思います。

第二の短所として、斬撃兵器であることが挙げられます。兵士の纏う鎧は斬撃に強く、刺突に弱いものが多いです。つまり、鎧を着た相手に刀はムチャクチャ不利なんですね。槍や弓、鉄砲が重宝がられる理由がわかります。

第三の短所も、斬撃兵器であることが理由です。斬撃を行うには、振り回す必要があります。しかし、これをやると密集が難しくなるのです。槍などは腕を前後に動かすだけなので、文字通り肩を並べて戦えます。つまり、一つの戦域に兵士をより集中できるわけですね。

ちなみに、剣をメインウェポンにしていた古代ローマ軍は剣を刺突兵器と割り切って装備させることで肩を並べて密集していました。その前に刀を装備していたのですが、密集状態では縦にしか振り回せず、効率的ではなかったのです。

このように、なんかもう不利な条件が多すぎるのが刀です。戦国時代の負傷原因でも下のほうにいるので、研究者さんはその存在価値を地に落としがちです。しかし、本当に微妙だったのでしょうか。

多くの人が思い浮かべる刀は、相当微妙だったと思います。あれはマジでサブウェポンですね。しかし、長い刀である大太刀は違います。あれは、ガチに大活躍している可能性があるのです。それでは、確認していきましょう。

まず、短い刀について。これは基本的にサブウェポンです。しかし、ヨーロッパでサーベル騎兵が活躍している以上、騎兵ならメインウェポンとして活躍した可能性が残されます。ただし、日本の騎兵は短い刀より大太刀を好みました。

大太刀を装備する騎兵は鎌倉末期からの流行スタイルです。徒歩兵が弓を射った方が有利と知った武士たちは、自らの役割を重装弓騎兵から重装突撃騎兵へと切り替えました。武器は主に大太刀です。軽装備相手には斬撃兵器、重装備相手には打撃兵器として活躍できるからです。

戦国時代でも大太刀装備の騎兵は活躍しています。しつこいほど例として出している上杉謙信がその代表格ですね。では、上杉謙信以外にも長い刀を好んでいる武将は誰がいるでしょうか。有名どころとしては、織田信長があげられます。

二次か三次資料でしか確認できていませんが、信長は長い刀を好んでいたそうです。短い刀など役に立たないと豪語していた彼は、鞘が地面をこするほど長い刀を腰にさしていました。しかも、鞘の先端には車輪がついており、それで移動を楽にしていたのです。正直、怪しい話ではあります。信長の刀のエピソードでは、逆に短くしたというものもあるくらいです。

ちなみに、長い刀についてはこんなエピソードもあります。江戸時代のある老武士が、城内で長い刀をさしていてみんなが迷惑していました。ある人がやめさせようとしたのですが、短い刀など戦場で役に立たないのでさしたくないと拒絶したそうです。

この人は戦国時代の生き残りで、太平の世に生まれた若い武士とは思考法がまるで違っていたわけですね。これらのエピソードを見るに、戦場で使用される刀はある程度の長さがないと使い勝手が悪いということです。

とはいえ、状況によって必要な長さは違うはずです。騎兵として敵にぶつかるばあいは長ければ長いほど有利でしょう。しかし、打撃で敵を倒さず、相手を確実に殺したい場合はある程度短いほうが有利です。敵の鎧の隙間を突くには、短いほうが狙いを的確にできたはずです。

ちなみに、源平合戦以前から存在する武士の最終決戦方法である組打ちは、脇刺と呼ばれる短い刀で行われます。お互いがお互いの鎧を手でつかみ、鎧の隙間に刃を差し入れる戦闘では長い刀など役に立たないのです。



さて、話を武器としての刀ではなく、技術としての剣術を見てみましょう。ここから、刀の戦場における優位性が垣間見えるはずです。東アジア、特に中国においては日本人は剣術において優れているという見方をされていました。日本剣術の素晴らしさは、日本人の思い込みや妄想ではないのです。

日本人の剣術の冴えを知っているのは、中国がある敵と戦い続けたからでした。その敵は、倭寇です。中国人を中心とした東アジアの海賊である倭寇には、多数の日本人が参加していました。彼らは刀を手に俊敏な動きで中国兵を惑わし、槍の柄を切って大活躍していました。

倭寇退治に活躍した中国の将軍は、わざわざ模造した日本刀である倭刀をつくらせ、日本剣術をまねた中国剣術を作ったそうです。その剣術は、日本の新陰流に似ているとか似ていないとか。

日本剣術を中国が評価していた証拠はまだあります。それは、秀吉の朝鮮出兵に際してのエピソードです。中国兵に投降したある日本人が剣術の達人であったことから、中国の将軍はこの日本人に多額の給与を与え、その剣術を部下の中国兵に伝授させようとしたのです。

ところが、敵のスパイだと考えた本国のお偉いさんのせいで、この日本人剣術教師は中国本土に送られてしまいます。中国の将軍は「彼らの技術を吸収せずして、いかに倭奴を退けられるというのだろうか」的な発言をしています。火縄銃だけではなく、剣術までも高く評価していたわけですね。

このように、日本に優れた剣術家が多いことは東アジアではそれなりに有名だったようです。敵である中国がその技術を盗もうとしたくらいです。さて、重要なのはこの技術を盗もうとしたという部分。なぜ、中国は剣術をコピーしようとしたのでしょう。

理由は簡単、戦場で剣術がそれなりに重要な地位を占めていたからに他なりません。役に立たない技術を持つ人間に、わざわざ高い金を払って教授を願うでしょうか。これは、刀剣が戦場においてそれなりの意味を持つ存在であったということを暗示しているように思えます。

このように、刀はそれなりに戦場での活躍を見せていました。接近戦の花形は槍であり、遠距離戦は弓と鉄砲です。しかし、刀には刀で意味があり、それに優れた日本人は剣術の教師として他国人から評価されるほどだったのです。刀が首を切る役目しかないとするのは、やや極端な意見であると言わざるをえないと私は考えています。



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