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甲冑と鉄砲


日本で使われた甲冑の歴史は弥生時代にさかのぼります。この頃は金属が貴重だったのか、金属の鎧は使用されなかったそうです。代わりに使用されたのは皮や木でした。

甲冑と鉄砲

世界的に見て、古代では皮の鎧はどこの地域でも見られましたが、木の鎧は珍しいように思います。とはいえ、ヴェトナムあたりでは籐の鎧が用いられていたり、殷王朝の時代には植物性の盾や鎧もあったらしいので、他の地域にないというわけではありませんが。

近世までの日本が文化的に影響を受けるのは大抵、お隣の大陸に存在する歴代中国王朝でした。中国の鎧は縦長の小札と呼ばれる小さな鉄の板を皮などの素材で出来た頑丈な糸で接続したものでした。 この鎧はラメール・アーマーと呼ばれるタイプの鎧で、重量がある代わりに糸のおかげで体にフィットするという特性を持っていました。

古代の日本には二種類の鎧が存在していました。一つが、『短甲』と呼ばれる金属板をおおざっぱに使った鎧。そして、『挂甲』と呼ばれるラメールアーマーです。この挂甲が後に形を変え、武士と呼ばれる人が身に纏う鎧に変化していきます。

平安時代に武士が纏った鎧を『大鎧』といい、騎乗射撃戦闘に特化した鎧でした。世界史的に見てこの時期に最も力を振るった兵科が弓騎兵であった以上、驚くことでは無いでしょう。しかし、騎乗戦闘を前提にした大鎧は徒歩戦には向きません。そのため、鎌倉末期から南北朝時代には徒歩戦にも対応できる『胴丸』、『腹巻』と言った平安の頃から存在していた鎧が主流となっていきます。

さらに歩兵は簡易的な鎧である前面のみを守る『腹当』が用いられ、動員力の向上に対応できるように鎧の作り方がより工夫されました。ですが、もっとも鎧に大きな変革をもたらしたのは応仁の乱以後に登場した鉄砲でした。鎧はこの鉄砲に対抗できるように工夫をしましたが、完全解決には至りませんでした。

彼らがまず作り出した技術は『板札』というものでした。今までは長方形の板である小札をいくつも糸で固定していたのですが、それを一枚の横長の板に変えてしまったのです。これにより制作が容易になる上に形状が滑らかになり、矢や鉄砲といった兵器に対してより有効になりました。

その上、小札に比べて無駄に装甲が重なる部分が減るために重量も少なくなります。 弱点としては長い鉄板であるために柔軟性がなく、小札のものに比べて体の屈伸に対応しない部分が多くなることくらいでしょうか。

さて、戦国時代の鎧には上位の者が身に纏った『当世具足』というものがあります。正直言って、この鎧は分類することが難しいです。

なぜなら、多くの人間が好き勝手に自分の趣味をぶち込んで制作するために決まった形状が存在せず、武将によって色も形もバラバラだったからです。胴部分は小札だったり板札だったり、一枚の鉄板だったりと様々。兜の形もいろいろで、篭手の形状や草摺りの形状まで、武将によって違います。

最後に『南蛮胴』についてです。対鉄砲装甲としてこれ以上のものは存在せず、ヨーロッパでもナポレオン戦争が起こった19世紀になっても使用された優れものです。鉄砲は強力でしたが、従来の鎧の装甲を倍以上にすれば決して防げないものではありませんでした。とはいえ、絶対に貫通しないわけではなく至近距離なら貫通も可能だったとは思いますが。

前に紹介した本の実験でも二ミリの鉄板を五十メートルで完全貫通できなかったように、距離があって装甲があれば防げないことはありません。しかし、厚みが倍と言うことは重量も倍。重量は日本人用に作り直された小さめのものでも6キロ以上、西洋人向けのものなら軽く8キロ以上はあると考えられます。

しかもこれに兜や草摺り、篭手や袖、さらには武器まで持つとなると正直動き回るのは大変だったでしょう。とてもではありませんが歩兵が身に纏うには重すぎるため、騎兵でなければまともに戦闘できなくなるということが弱点でした。

そのため、ナポレオン戦争の時代には銃が武器として一般的になっていたこともあって、歩兵は鎧を脱いで戦いました。騎兵は重い鎧を身に纏っても自分の足で歩く必要がないために、この鎧と兜だけを身に纏って戦いました。

結局、ヨーロッパで騎兵が鎧を脱ぐようになるのはライフル銃の登場以後で、火縄銃と同じ玉弾を使っていた頃は鎧が未だに有効であったことがわかります。話を日本に戻しますが、装甲の厚い鎧を身に纏えたのは一部のお偉いさんだけで、雑兵の鎧の厚みは一ミリ程度で、あとは紙や皮などで増強しただけなので、とてもではありませんが鉄砲など防げるはずもありません。

100メートル、200メートルほど遠くからの流れ弾程度なら効果はあったかもしれませんが、正直絶望的な薄さです。合戦に参加して戦う人間の多くが雑兵である以上、雑兵の鎧で防げない鉄砲は恐ろしいまでの威力を発揮します。日本では天下統一以後、幕末までろくな戦闘がなかったため歩兵の脱鎧、騎兵のみの装甲といった過程をへずに全戦闘員が鎧を纏わないライフル銃の時代を迎えます。

結局、日本で鎧が実戦で使われるのは役に立たなかった幕末までということになりますが、後には乗り込む鎧である戦車、そして防弾チョッキなどのボディアーマーとして鎧は今でも現役で戦い続けています。


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