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南蛮胴


日本史に登場する鎧の中で最強の防御力を誇るのがこの南蛮胴です。一枚の鉄板で作られたこの鎧には隙間がなく、さらに鉄板の厚みが通常の鎧の倍以上も存在するために防御力は他のものと比べると桁外れのものでした。

南蛮胴

さらに、この鎧は前面中央部が鋭角に盛り上がって作られており、これによって急角度が作り出され、高い銃弾防御効果がありました。 これは傾斜装甲と呼ばれる技術で、第二次世界大戦においては戦車にも使用された伝統ある技術です。

さて、鉄砲登場以前は薄い鉄板でも敵の攻撃を防ぐことは比較的容易でしたが、銃の登場がこれを覆しました。結果、ヨーロッパでは騎士が没落し、倍の厚みの鎧を騎兵は纏うことになります。しかし、全ての部分の装甲を倍にすることはできず、胴だけを倍の厚みにし、その他の部分は装甲を纏わない箇所を作るという思い切った鎧が世の中に出回るようになります。

遠距離なら装甲を倍にすれば銃による攻撃を防げたため、鎧はライフルの登場までその命脈を保つことになります。日本にこれがもたらされたのは戦国時代であり、ヨーロッパ人の鎧であることから南蛮胴とよばれました。防御力が高くて有能な鎧なのですが、弱点はその重量にあります。厚みが倍なので重量も倍と、歩兵に着せるには難アリの防具でした。

結局、一部の武将のみにしか使用されなかったために、戦争にもたらした影響は少ないと言えるでしょう。ちなみに、輸入した南蛮胴は日本人には大きすぎたり、形状が合わないこともあったので日本人用に作られた和製南蛮胴と呼ばれるものも存在します。

戦国の世が終わると使われなくなる南蛮胴ですが、ヨーロッパでは引き続きこの鎧は使用され続けます。銃の普及率があがり、歩兵が鎧を脱ぎ捨てて行く中で、自分の足で動かないために胸甲甲冑(南蛮胴のことです)を使用できるのは騎兵のみとなります。

邪魔なために腰を守る草摺り、肩を守る袖、篭手、さまざまな防具を失いながらも胸甲甲冑を身に纏う胸甲騎兵は兜と胸甲甲冑のみを防具として戦場を駆け回ります。彼らはナポレオン戦争でも活躍し、フランスの胸甲騎兵は敵の畏怖の対象にさえなりました。

胸甲甲冑を身に纏う騎兵が戦場で役に立たなくなるのは威力、命中率、射程が格段に向上するライフル銃の登場以降のことです。それ以降、鎧を身に纏う兵士が戦場から姿を消したことを考えると、火縄銃が主力の戦国時代では南蛮胴は十分に役に立ったものと考えられます。

江戸幕府二百年の平和がなければ、ひょっとしたら胸甲甲冑を身に纏う兵士の姿が日本にもあったかもしれません。つくづく二百年間も、戦争なしで済ませられた政権を創設した徳川家康のすごさには脱帽したい気分です。


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