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安宅船


乱世とされる16世紀に登場した船で、戦艦に相当するのがこの安宅船です。巨体で重装甲なために速度は低いが大量の戦闘員が乗り込むことが可能で、海戦はこの船を主力として行われました。大きいものでは長さ50メートル、幅10メートルを超えるものもあったらしく、それらは大安宅と呼ばれたそうです。

安宅船

艪の数は数十から百数十とされ、機動力は低かったが小回りはよかったと言う話です。速度を捨てた分だけ装甲を厚くしたこの船は盾板に狭間を用意し、そこから矢や鉄砲を敵に射掛けて戦いました。戦国後期になると大型の火縄銃である大鉄砲のみならず、大砲を積み込んで強力な火力を発揮したそうです。

しかし、軽量(他の国の船に比べて)であることが災いし、大砲を数多く積み込めなかったことから朝鮮戦役では火力の不足を大鉄砲で補うということをしていました。対する朝鮮の船は竜骨と呼ばれる西洋船のようなつくりではなく平底船で日本と似たような感じでしたが、素材が頑丈で重かったために大砲を乗せるのに非常に有利なつくりであったため、海戦では苦戦するという光景が少なくなかったようです。

最終的に、この船は朝鮮式に作り替えられ、大量の大砲で武装し朝鮮水軍と五分で渡り合えるようにまでなります。対する朝鮮水軍は火器が火砲どまりであったため、大砲を用いる日本相手には不利でさえあったようです。

このように、戦艦としての役割を海外でこそ果たせませんでしたが、国内においては最強クラスの船として活躍する余地は十分にありました。戦国大名は、安宅船、関船、小早の三つを上手く使いこなし、戦国時代を戦い抜いたのでした。



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