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中枢打撃


軍隊は指揮官の指示に従って動きます。兵士は総司令官の指示に従い、行動します。逆に言うと、司令官が指示を出せないと部下は動けません。

中枢打撃

総司令部は軍隊にとって補給部隊に並ぶ弱点となります。これを打撃すれば敵はあっさりと崩壊します。便宜上、これを中枢打撃とでも呼びましょうか。

敵司令部の撃破は勝利を呼び込みますが、簡単ではありません。通常、敵司令部は最も厳重な防御態勢で守られているからです。

そのため、敵司令部の打撃は非常に困難となります。戦国時代の会戦において、戦国大名が野戦で命を落とした例は、今川義元と竜造寺隆信の二例しかありません。戦国時代には千を超える合戦があったというのにです。

しかし、成功すればその効果は絶大です。ただし、実施に当たっては入念な仕掛けが必要となります。

織田信長は、これを成功させるために敵兵力の分散を企てました。城の後詰に行かずに見捨て、敵の多方向同時進撃を無視します。今川の後詰誘導は失敗します。

信長が釣り出されたら援軍として動く予定の今川本陣五千は桶狭間にいましたが、信長はこれを強襲し打ち取ります。味方を見捨てるという非常な作戦で敵の兵力分散状態を維持し、信長は見事に義元を打ち取ったのです。

他の例としては竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りなどがあります。総司令官である斉藤義龍を襲撃し、城から駆逐することであっさりと城を奪いとってしまいました。お手本のような中枢打撃です。

世界史的に言えば、アレクサンドロス大王によるイッソスの戦いが有名でしょう。兵力移動によって敵本陣の隙間を作った大王は、そこに直率の騎兵部隊を突っ込ませます。

危機を感じたダレイオス大王は撤退を開始します。総大将が逃げるのをみて、ペルシア軍は前線崩壊に陥りました。

このように、敵司令部を攻撃することは戦場においての勝因となりえます。しかし、その難易度から中枢打撃を行えるのは一握りの天才に限られてしまうのでした。




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