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奇襲攻城


少数で多数の敵を相手に出来る篭城は、紀元前から使われてきた弱者の常套手段でした。堅牢な城ともなるとそう簡単には陥落せず、時には十倍の敵を跳ね返す名将を幾人も輩出してきました。城攻めは通常、敵の三倍の兵が必要とされ、それでも陥落しないことはざらでした。

奇襲攻城

水上から兵糧を運びこめるような城ともなると、七年間持ちこたえた城塞都市もあるくらいなので、攻撃側にとって城を攻めるのは非常にやっかいなことだったのです。火砲が発達すると攻撃側が少し楽になるのですが、それでも困難なことには変わりありません。

空爆が可能な第二次世界大戦でさえ、硫黄島の英雄たちは十倍を軽く越えるアメリカ軍に多大な出血を強いたほどです。ですが、簡単に城を落とす方法が存在します。それは内通者を利用することです。内通者の利用で陥落した拠点は数多く、中には内通ではなくクーデターという方法で主君を打ち破る者も存在しました。

城を奪うクーデターの中で、世界の軍事史を眺めてさえ、最上と言える攻城劇を展開した天才が日本にはいました。筆者はこの城砦奪取をあえて『奇襲攻城』と名づけます、これを敢行したのは竹中半兵衛と呼ばれる英雄でした。彼はたった十六名という人数で稲葉山城(後の岐阜城)を斉藤龍興から奪取、その武名を天下に響かせます。

三国志最強とされる呂布でさえ部下の奇襲攻城に敗れている以上、部下の掌握ができない武将の危うさを示すものであると言えるでしょう。



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