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大返し


大返しとは秀吉の必殺技としてよく知られているものです。秀吉の得意戦術は二つ存在し、その一つは先のカテゴリーで語った『城攻め』、そしてもう一つが『機動戦』です。軍を高速で機動させて戦場での優位を勝ち取るのは名将の必要条件の一つですが、これを狂ったような速度で行ったのが秀吉です。

大返し

有名な『中国大返し』を見てみましょう。信長の死を知った秀吉は、高松城を降伏させた後に軍を反転させます。光秀を討つべく、決選予定地の富田に向かいます。距離は180キロ先。これを秀吉は九日間で踏破。まさに爆走とでも言いたくなるような機動力です。


一日で50キロを超える機動さえあったこの高速移動に、光秀は味方になるはずであった者のほとんどを秀吉に吸収され、信長の後継者になる権利を強奪されてしまいます。 戦力の空白地帯で作るはずの味方が、そこを埋めるようにやって来た秀吉によって奪われてしまったのが原因です。

『中国大返し』に比べてマイナーですが、賤ヶ岳の戦いで行われた機動は『中国大返し』を上回るものでした。部隊を二分した隙を敵に突かれた秀吉は、敵が動いたことで生じた隙を突くべく、分離した軍を一つにするべく率いていた部隊を賤ヶ岳に引き返させます。

この時、秀吉のいた場所から決戦場の賤ヶ岳までの距離は52キロ。なんと、秀吉はこの52キロを5時間で爆走。数時間前までいなかった敵将とその本隊の帰還に敵は意表を突かれ、敗北を喫することになるます。『美濃大返し』と呼ばれる、この狂ったような高速機動は世界史を俯瞰してもここまでの機動は類を見ないものであると言えるでしょう。

しかし、これだけの機動戦をやってのけながら秀吉の野戦評価が高くないのは正直悲しいところです。コーエイの開発スタッフはもう少し彼の大返しを評価して武力60代後半くらいはくださってもいいのではないかと思ってしまいます。



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