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戦国時代の戦闘教義について


戦争を行うにあたり軍隊は、訓練を重ねることで勝率を高める努力をします。軍隊はある意志に基づいて訓練を重ね、部隊の編成を行います。その意志と思想こそが、戦闘教義と呼ばれるものです。

英語でバトル・ドクトリンと呼ばれるこの言葉は軍隊の編制、訓練において欠かせない思想です。どのようにして敵に勝つかという方策を決定し、どのような武器や防具を兵士に持たせ、歩兵・騎兵・砲兵の比率をいかにするかを決めます。

バトル・ドクトリンを相撲に例えるなら、勝ちパターンを想定し、それが可能になるように特定の技を重点的に鍛えることに似ています。上手投げで勝負を決めようと考えるなら、上手投げで勝てるように立会いを想定し、上手投げの訓練を重ね、試合に備えます。

戦国時代の基本的な戦闘教義は前期と後期で大きく分かれます。前期は戦いの主役である長柄槍兵を大量に用意して、それを主力として戦線を構築し、弓兵と騎兵の援護により勝利を得るというものでした。

鉄砲が普及した後期になると長柄槍兵を大量に用意し、弓兵の変わりに鉄砲兵を大量に用意して大量の火力で戦場を圧倒し、接近戦の防御で長柄槍を積極活用するようになります。

つまり、戦国時代の基本戦闘教義を簡潔にまとめるとこうなります。

『前期』
弓矢による牽制攻撃、もしくは騎兵による威力偵察

遠兵器同士の楯突き戦、もしくは騎兵による牽制行動

長柄槍兵同士の死闘、もしくは騎兵による翼側攻撃

乱戦、もしくは騎兵による弱点突破

敵or味方敗走、騎兵による追撃、敗軍の撤退援護戦闘


『後期』
鉄砲による牽制攻撃、もしくは騎兵による威力偵察

牽制に弓矢も参加、もしくは騎兵による牽制行動

遠兵器同士の楯突き戦、騎兵が継続して牽制行動

長柄槍兵同士の死闘、もしくは騎兵による翼側攻撃

乱戦、もしくは騎兵による弱点突破

敵or味方敗走、騎兵による追撃、敗軍の撤退援護戦闘


もちろん、遠距離兵器のみで敵が撤退することもあるので、これはガチでぶつかり合った時の基本展開です。戦国時代の軍隊はこのような戦闘を想定して訓練を重ねました。

まず、先頭に鉄砲を置き、弱点を補うように弓兵を側に置きました。両軍の距離がつまると弓と鉄砲は弱いので後ろに槍兵を置き、その後ろに本陣。本陣の後ろには騎兵を置き、左右どちらからでも動けるように配置しました。

鉄砲・弓・槍・馬を順番に縦に並べる陣形を備(そなえ)と呼び、これが戦国時代の基本的な陣形となりました。この備が部隊単位となり、これを複数集めて軍が構築されます。

長柄槍を中核に据えた軍隊は当時最強地帯であった欧州においても、主流の戦闘教義に従った編制であり、似たような陣形に『テルシオ』というものがありました。この陣形はあまりにも強く、これを創造したスペインは当時、欧州最強国として栄光の元にいました。

テルシオは長柄槍(パイク)を持つ槍兵を長方形に並べ、騎兵に対して無敵の防御力を誇りました。長方形の四辺にはそれぞれ正方形に並べた火縄銃・弩弓兵を配置し、近づけないでいる騎兵を一方的に攻撃しました。

テルシオは言うなれば動く要塞でした。騎兵がこれを崩すことは容易ではなく、戦いは射撃兵による遠距離戦にはじまり、槍兵同士の白兵戦を頂点とします。騎兵が戦場を支配した時代は終わりを迎え、騎兵の価値は大幅に低下します。

しかし、テルシオには重大な弱点がありました。それは機動力の低さです。あまりにも鈍足なテルシオは戦場を支配こそできますが、機動的な戦術を一切とれません。しかし、テルシオ以上の陣形がない以上、各国はスペインのテルシオをコピーし、急場をしのぎます。

テルシオ最強に拍車をかけたのが騎兵の弱体化です。鉄砲運用において世界最先端の欧州は世界でもいち早く、騎馬鉄砲隊を創設します。馬上で扱いやすい拳銃・騎兵銃のみを装備した装甲騎兵が走りながら射撃するという部隊です。鉄砲と騎馬が合わさり最強に見えます。

しかし、これがダメな部隊でした。拳銃・騎兵銃は槍より射程が長いため、騎兵を高速機動させて槍の射程外から一方的に攻撃し、槍陣を動揺させるという思想で作られたこの部隊は、『騎兵による敵陣への接近→射撃→反転して逃走』を繰り返すヒットアンドアウェイ戦術である『カラコール』を用いましたが、これには多くの弱点がありました。

まず、走りながらの射撃なので命中率が最悪です。さらに、銃身が短いので射程が短く、歩兵の射撃の方が長射程なので、テルシオに接近すると周囲に配置された銃兵に攻撃されます。突撃して敵をかき乱さないので衝撃力もありません。

同質の相手とばかり戦っていたため、世界一発展した地域であるはずの欧州の騎兵はダメになっていました。結果、欧州の戦場は歩兵のみが重要となる、ある意味で勘違いされていた日本の戦国時代の様相を示していました。

さて、この状況を打破すべく欧州の名将たちは軍制改革に乗り出します。歩兵面で特筆すべきはマウリッツ、騎兵・砲兵面で特筆すべきはグスタフ・アドルフでした。彼らは無敵のテルシオを打破するために、脳から汗を流してテルシオに多くの改良を加えました。

まず、マウリッツから。オランダの将軍であったマウリッツはテルシオの機動力を高めるために、部隊単位の兵力を削減し、行動の自由を高める所から始めました。そして、中核に槍部隊を据え、その両翼に銃兵を配置、そのさらに両翼か背後に騎兵部隊を配置しました。

これによりマウリッツの部隊はテルシオに比べて防御力を失いましたが、高い機動力を取り戻しました。この陣形は、戦闘を開始した後に左右に銃兵を散開させた日本の備に似ており、日本の陣形が最先端のものに酷似していたということを暗に示しています。

日本の備が改良テルシオに似ていた理由は、日本の地形が原因でしょう。山がちな日本は交通状況が良くなく、横に大きく広がれません。そこで、必然的に機動力重視の陣形である必要があり、そのためにテルシオにたどり着かなかったということなのかもしれません。

縦に並べられた陣形は衝撃力に劣りますが、機動力に優れます。日本の備は機動力、欧州の改良テルシオは衝撃力に優れると言ったところでしょうか。もちろん、日本の備は横隊展開しましたし、改良テルシオも縦隊後進はしました。あくまで基本形の違いです。

さて、次にグスタフ・アドルフについて語ります。グスタフはマウリッツの戦術を習い、改良テルシオで部隊を編成しました。西欧で流行中の騎馬鉄砲隊も編制し、強力な軍隊をそろえます。そして、後進国であるはずの中欧の雄、ポーランドと激突します。

結果、大惨敗しました。元々、遊牧色を強く残すポーランド騎兵は欧州最強クラスの騎兵でした。しかも、最先端地域でないために騎馬鉄砲隊が育たず、槍や剣を装備した旧式騎兵が多かったのですが、それが強力な力を持っていました。

格闘戦の可能なポーランド騎兵は鉄砲装備で微妙な攻撃しかできないグスタフのスウェーデン騎兵を接近戦で蹴散らし、歩兵陣に突撃しました。機動力重視のために槍兵を減らしていたグスタフの軍隊は大被害を出して敗走します。

後進国の弱体化していない騎兵の力を知ったグスタフは騎兵に扱いやすい拳銃を持たせるだけで、騎兵銃を取り上げました。そして、サーベルを腰にささせ、サーベル突撃を導入します。後に三十年戦争でこのサーベル騎兵が大活躍、西欧は騎兵の突撃を思い出し、復活させることになります。

加え、西欧で最初から存在していた『移動にのみ馬を使い、下馬して射撃する竜騎兵』も同時に使用します。消滅させたのは馬上で疾走しながら射撃する騎馬鉄砲隊だけです。そして、この編制は大きな力を発揮しました。

さらに、グスタフは砲兵を野戦に導入しました。主に攻城戦でのみ使われる大砲は機動力がなく、野戦で使用する際は初期配置から動けないという運命にありました。グスタフは大砲を軽量化し、威力を落としながらも戦場機動を可能にしました。

歩兵・騎兵・砲兵を組み合わせて有機的に活用する戦術を三兵戦術といい、これの創始者であるグスタフは軍事史に偉大な将軍として栄光を得ています。さて、前置きが長かったですが、日本の方も見てみましょう。

日本は大砲が未発達であり、たまに大鉄砲と呼ばれる小型の大砲が使用されるだけに留まり、朝鮮出兵の前だと大友宗麟の国崩し、織田信長の鉄甲船に搭載された三つの大砲以外に記述を見出すのは難しい感じです。

しかし、日本には抱え大筒と呼ばれる大鉄砲が存在し、これが砲兵代わりに活躍していました。グスタフの砲兵に比べ攻撃力に劣ったでしょうが、機動力の面では超越していたでしょう。織田信長の率いる大鉄砲隊は長篠の戦いでも大活躍しています。

さて、このように各国の軍隊は戦闘教義という方針にしたがって部隊を編成し、戦闘方法を訓練します。この編制と方針は国によって違い、経済力や国家制度などで左右されます。

戦国時代の武家もその例に漏れず、それぞれが独特な戦闘教義を持っていました。そこで、このカテゴリーでは軍事面から掘り下げた、それぞれの武家が持つ戦闘教義や軍隊編制を見ていきたいと思います。



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