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北条家の戦闘教義


武田・上杉・今川と争った関東方面最強クラスの戦国大名が北条家です。正直言ってかなり地味な武将ですが、その強さは折り紙つきでした。では、北条家の戦闘教義、戦術と軍隊を見てみましょう。



『戦術面』
持久防御
勝鬨戦術

『軍隊面』
五色備え
近戦主義
騎馬隊重視


武田騎馬軍団の伝説と違い、実際に最多の騎馬隊を所有していたのは北条家で、軍隊内における騎兵比率は戦国大名一でした。これには馬の疾駆が可能な平地を日本で一番多く持つ関東平野を領土に持つことが原因でした。坂東武者の子孫を率いる彼らの実態を見ていきましょう。



------------鉄壁の防御戦術------------

北条家最大の特徴は『持久防御』と呼ばれる戦術です。北条家は領土内にいくつもの堅城を持ち、さらに城の防御戦を得意とします。城という兵器で、攻めてくる敵の兵力を受け止め、消耗したところを叩く事を得意としています。

八万の兵力で支城を包囲された河越城の戦いでも、北条綱成は三千の兵力で防衛戦闘を戦い抜き、援軍として現れた北条氏康による八千の援軍が来るまで持ちこたえ、さらに援軍到着後の数ヶ月も戦い抜きました。

氏康による奇襲が行われた際、綱成は城から出撃し、八万の敵を蹴散らす手伝いをしています。かの有名な、日本三大奇襲の一つ、河越夜戦は城の防御力なしにはありえなかったのです。

北条家の卓越した防御戦闘力は他の戦いでも顕著です。中でも小田原城は戦国史上でも大阪城に並び称されるほどのもので、実際の戦績も素晴らしいものがあります。

小田原城はまさに鉄壁で、かの名将、武田信玄と上杉謙信に包囲されても陥落しませんでした。堅固な城壁を持ち、海に面しているため海上補給も可能。一勢力程度の包囲ではビクともしなかったのです。

小田原城が陥落するのは、後に豊臣秀吉による二十万の兵力による小田原包囲を待つ必要があります。それだけの兵力がなくては落とせないほど、小田原城は堅牢だったのです。



------------平均的な旧式軍隊------------

東日本の宿命ですが、貿易相手から見て港が遠いために基本的には部隊は旧式です。ですが、海に面しているために鉄砲装備比率は多少マシな方でしょう。もう少し遠くの伊達氏も、後に貿易で鉄砲を大量に手に入れているので、条件はさらにマシです。



------------持久戦が得意だが、攻撃的な編制------------

北条家の特徴としては先ほども述べましたが、やはり騎兵比率が戦国武将の中でも最大級であるという点です。関東平野で騎兵戦がしやすいことから、騎兵が多く、そして精強でした。

さらに、兵質に自信があったのか、北条家は槍の長さが上杉と同じく二間半(4.5メートル)です。ここから導き出されるのは、北条家が意外と攻撃的な軍隊ということです。

騎兵は防御には向かない攻撃一辺倒の兵種です。そして、機動力を重視した短い槍は防御より攻撃を想定した長さです。つまり、どう考えても北条家は攻撃に強い軍事編制なのです。

結果、北条家は持久防御を得意としながら非常に攻撃的な戦いが可能な軍隊となります。河越夜戦での大活躍、第一代から第五代までの領土拡張などから考えれば、この攻撃性が後ろ盾になったと納得できるところでしょう。



------------豪華絢爛の五色備え------------

北条家の軍隊に特徴的なのが、五色備えと呼ばれる軍隊制度です。北条家は部隊の甲冑に塗る漆の色を五色に分け、運用していました。この中には赤備えもいましたが、正直言って北条の赤備えには何の逸話もありません。有名なのはなぜか黄色です。

北条家において最強の武将として知られていた北条綱成は三千の兵で河越城に立てこもり、八万の敵に対して引けを取らなかったことで有名な武将でした。彼の率いる部隊は『黄色備え』を身にまとい、戦場を駆け巡りました。

八幡台菩薩の旗を掲げる黄色備えは特有の戦術を持っていました。『勝鬨戦術』です。通常、勝利した時に人は勝ったと口にします。しかし、綱成は部下たちに突撃に際して「勝った! 勝った!」と叫ばせました。

こうして異様な光景が作られます。戦闘の最中、勝利宣言をしながら敵が突っ込んでくるのです。これは戦場において大きな効果がありました。その言葉に敵は動揺し、味方は勇気付けられます。さらに、周囲から聞こえてくる声を耳にし、黄色備えは目の前の敵に集中しながら、仲間の存在を強く感じることが出来ます。

こうして、北条家は武田・井伊・真田と違い黄色備えという色違いの精鋭部隊を率いて戦いました。その武功は、赤備えを率いた彼らと比べてたとして、勝るとも劣らないものであったでしょう。


------------氏康個人の戦術能力------------

北条氏康は、知名度は低いですが上杉謙信や武田信玄に勝るとも劣らない名将です。八倍の兵力を撃破した経験は彼らにはありません。そのため、非常に有能な将軍と言えるでしょう。

戦いは持久防御を基本としながら、奇襲・攻城・野戦など平均以上のものを持つ安定性の高い武将です。自身も優れ、部下も有能であり、兵質にも恵まれていました。

個人的に、今川義元・北条氏康・武田信玄・上杉謙信の四人は同格だと管理人は考えています。



------------北条家戦闘教義の総括------------

全国的に見ても平均的な軍隊を持ち、騎兵比率が高く、兵質にすぐれ攻撃的な編制を持つのが北条家の軍隊です。しかし、戦術・戦略面では防御重視であり、同数の兵力を持っていても篭城を選ぶほどです。

しかし、決して野戦が弱いわけではなく、騎兵を多く抱える北条家にとってむしろそちらが本領です。武田・上杉に劣らない北条の軍隊。彼らの敗北が天下統一の条件になるあたり、非常に重要な戦国大名であったと言えるでしょう。



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