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和弓と戦国時代


和弓とは世界でも稀な2メートルをこす大型の弓で、戦国時代どころか弥生時代のころから使用されていました。とはいえ、この当時の弓の威力は非常に弱かったそうです。和弓は時代の流れにあわせて少しずつ強化されていきます。

和弓と戦国時代


丸木弓
(弥生時代、もしくはそれ以前から使用)

伏竹弓
(平安時代末期に開発、竹と木の合成弓で威力が跳ね上がる)

三枚打弓
(鎌倉時代中期に開発、竹の使用法を工夫してさらに威力があがる)

四方竹弓
(室町時代中期に開発、竹の使用法にさらに改良を加えたもの、戦国時代に使われたのは主にこれ)

弓胎弓
(江戸初期に開発、和弓の最終進化形態。現在の弓道でも使われる優れモノ。文献は存在しないが戦国時代後期で使われていた可能性アリ)

といった感じで弓は時代と共に強力になって行きます。中でも三枚打弓の威力は凄まじく、鉄板さえ貫通すると太平記を読むとわかります。それ以前に鉄板貫通威力があったかどうかはちょっと資料がないので断言できません。

ですが、三枚打弓を強化したものが戦国では使われていたために、戦国の弓は鎧を着ていても防げないことがあったことが見て取れます。弓の使用は馬の使用と共に特殊技能とされ、使用できる者の数は比較的限られていました。前から使用している編成比率の資料によると、武田家10%、上杉家6%(弓と鉄砲とあわせてこの数字です)、北条家8.7%です。

はじめてこれを見たとき、思った以上に弓は少ないと驚かされました。しかし、この弓の威力はすさまじく、槍のカテゴリーでも紹介したとおり、戦国時代初期において、戦場で死ぬ人間の大半は弓が原因です。特に南北朝時代の負傷者数を研究した方の発表によると7〜8割が弓による死者とのこと。確か応仁の乱以後だとそれが4割まで減るそうですが、それでも一番多いことに代わりはありません。

手元にある資料では鉄砲が増えた後のものしかないため鉄砲傷45%と最大ですが、鉄砲登場以前は弓が一番多く負傷者を生み出したことにはかわりないでしょう。鉄砲に比べると比較的弱小な弓ですが、至近距離なら薄い鎧くらい貫通してしまうなど侮りがたい威力を持っています。発射速度もおよそ30秒に1発と言われている鉄砲よりも有能で、1分に10射できるという文献も発見しました。

鉄砲の隙をつくらないように、雑兵物語では鉄砲撃ち2人の間に1人弓兵を置いて、敵に隙を突かれないようにして戦えという文章をも見て取れます。火薬を使用しないローテク兵器なため、雨にも強く発射速度という弱点もないために鉄砲が導入された後も弓は戦場で使われ続けます。使用率は西暦1600年、関ヶ原と同年のこの年に伊達政宗が長谷堂城の戦いで率いた2万4千の内、2720人の内、編成比率は鉄砲が44.1%、弓9.2%だそうです。

四国と並ぶど田舎とされた東北ですらこの比率です、他の地域ではもっと弓の使用率はもっと下がっている恐れがあります。このように戦国末期でさえ弓は使用され続けます。下手をすると幕末でも使ってるやつがいるかもしれない辺り恐ろしい武器です。

この時代の鉄砲に弱点が多いこと、そして高価で配備が難しいことが弓の活躍を可能にしました。有史時代以前から活躍し、鉄砲にその座を奪われるまで第一線で活躍し続けた弓。そんな弓が鉄砲と共に用いられた過渡期であることが戦国の魅力の一つです。

ローテクとハイテク、弓や槍、鉄砲が入り乱れる戦場。そのロマンに酔うように、戦国を楽しんでいただければ幸いです。


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