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鉄甲船


織田信長が九鬼嘉隆に命じて、毛利水軍・村上水軍に対抗するために建造させたのがこの鉄甲船です。一般には鉄板で装甲された船であり、めちゃめちゃ強力な戦艦であったと知られています。一般にと頭につけたのは、武田騎馬軍団のように最近ではその存在を危ぶまれているからです。

鉄甲船

いろいろな資料からその巨大さや大砲、大鉄砲を積み込んだことによる火力の高さは証明されているのですが、肝心の鉄板を使用したという記述が存在しないことが原因です。

ちなみに鉄板を使用しているという説の根拠になったのが多聞院というところの英俊さんの日記に「鉄の船なり。鉄砲通らぬ用意、事々敷儀なり」と記述された部分だそうです。

しかもこれは伝聞らしく、しっかりと資料を調べる方々はこの点をしっかりと指摘しています。この記事からでは鉄で装甲されているのか、木造装甲が厚くて鉄砲で貫通できないかがわからないということです。

ちなみに、ルイス・フロイスはこの舟を「日本で最も大きく、華麗な舟でポルトガル舟のようだ。驚いた。大砲三門と多数の銃が乗っている。本願寺は滅びるだろう」と述べており、この時点ですでに大砲を備えていたことがわかります。

イエスズ会士日本通信によると「大砲を三門載せているが、それがどこからきたか私にはわからない。なぜなら大友宗麟が鋳造させたという小型の砲以外、日本国内には他に大砲など存在しないことは我らのよく知るところだからである」と述べています。

どうやらオルガンチーノは実際に乗船し、大砲やらなにやらを見たようです。もう少し詳しく書いて欲しいところですが、記述がないのでこれ以上は想像するしかありません。

ちなみに私が参考にしている本の作者は織田信長が火縄銃をそのまま大型にしたものを実践で用いていることからそれをさらに大型にしたものだったのではないかと意見を述べています。

余談ではありますが別のソースによると、この数十年後に秀吉が実際に鉄張りの舟を作っているそうです。1635年には徳川秀忠が幕府御船手頭向井忠勝に、防火防蝕のために銅版張りの安宅舟を建造させたことが幕府の公式記録でわかっているそうです。

防火防虫のために張った鉄板が、そのまま防御装甲と勘違いされたのではないかという可能性が否定できなくなりました。西洋の船でも船に金属を張ることは少なくなかったそうです。何か答えが見えてきてしまった気がしないでもないですね。

織田信長の作った船が防御を目的に鉄を張った鉄甲船かどうかはあやしい所ですが、戦国時代において金属板を張った船が存在している以上、否定しきるのは難しいところでしょう。

江戸時代には軍船の表面に金属板を貼るアイディアと技術が存在していたとする公式記録が存在していのもこの説の一助になるのではないかと思います。防御ではなく、他の事が目的で金属板を張った船が鉄甲船である可能性は否定できないのです。

個人的には、防御のために鉄板を張った鉄甲船の存在を願うところですが、さらに有力な資料が見つからない限り、その存在証明は当分先の事になると思われます。



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