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後詰


後詰とは何か。それについては、まず当時の状況を知らなければ理解できません。では、見ていきましょう。

後詰

戦国時代、国家の領域は城を単位に決定していました。城を手にすれば、その城の周囲が支配領域となったのです。そこで、戦国大名は部下に城を任せ、広い領土を支配しました。

土地と共に城を与えられた部下の武将は大名に忠誠を誓っているものの、実質的には独立勢力です。つまり、戦国大名は自分に従う中小領主の頂点に立つ親分でしかないのです。

御恩と奉公という言葉があります。土地を与えられる代わりに忠誠を誓い、親分の命令によっては軍隊を率いて助けに行きます。代わりに、親分は子分の土地を守る義務があるのです。

逆に言えば、親分が子分を助けないなら、子分は親分に従う必要はありません。子分は余裕で親分を裏切ります。奉公は御恩があって初めて意味をなすのです。

正確ではないのですが、わかりやすい身近な具体例としては日米同盟があります。日本が中国やロシアといった敵に攻められた場合、アメリカは日本を助けに来ます。そのために米軍基地が日本にあります。

もし、アメリカが助けてくれないなら日本はアメリカを裏切るでしょう。自分が一番かわいいので当たり前です。代わりに、日本はアメリカに従って自衛隊を戦地に派遣しています。国家間のやりとりは中世も現代も変わらないようですね。

さて、戦国時代は大国が中小国を従えて自身の領域としていたことがわかっていただけたと思います。織田信長が秀吉や光秀を部下にしているのは、アメリカが日本やフィリピンを部下にしているようなものだと考えてください。独立してるけど従属しているのです。

たいていの場合、大名の城が中心にあり、その外周に従属武将が城を持っています。そして、そこは敵国との最前線となります。

こうなると、敵は当然のように城を攻めてきます。従属武将はこれを守らなければなりません。この時、従属武将はある義務を持っています。自分の大将が援軍を率いてくるまで、包囲軍を退けるという義務です。

籠城は援軍を当てにするのだから当然の成り行きですね。しかし、敵が巨大すぎたり兵力が集められなかったりすると援軍は来ません。こうなると、対応も変わってきます。

従属武将は大将が自分を助けないとき、大将のために努力する必要はないわけです。こうなると、従属武将は余裕で敵に降伏します。

これを避けるため、戦国大名は包囲された部下を救うために戦力を派遣しなくてはなりません。この戦国大名による、従属武将の援護行為を後詰と言います。

戦国時代の大会戦は、たいていがこの後詰合戦です。城が戦略単位であるため、この城の奪取こそが主眼に置かれたからです。

姉川の戦いも織田軍の支城包囲に対する浅井朝倉連合軍の後詰ですし、長篠の戦いも長篠城を救うために、包囲する武田軍に挑んだ後詰合戦です。

部下を救わないと見捨てられるので、戦国大名も義務の履行に必死です。でも、いつでも必ず助けられる保証はありません。そんな時のために、戦国大名は部下から人質をとります。裏切ったら殺すためです。

このように、城をめぐる争いは血なまぐさいものでした。城は非常に重要であり、それを奪うことが天下統一につながったのです。

ちなみに、交渉で敵を寝返らせる調略は無血で城を入手できます。そのため、これが上手な武将は戦上手な武将よりも重宝がられることになります。

織田家最強武将である柴田勝家より、秀吉や光秀の評価の方が高かったのはこれが原因だったのでしょう。



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