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分進合撃


難しい軍事用語なのでかいつまんで説明しますが、分進合撃とは全軍が一緒に行動を取らず、複数の経路を進んで行動し、戦闘時には集合して戦う機動戦略のことを言います。

分進合撃

ヨーロッパでは動員力の上昇により一つの道では食料の収集が追いつかず、複数の経路を利用することで今までにない大軍を戦場に送り込めるようになりました。

さて、日本の場合も朝鮮戦役などでは分進合撃をやらかしていますが、国内戦では豊かな日本ということもあって違うところから出発した連中が同じところに集まろう程度の分進合撃はあまり行われませんでした。少ない例では、関が原では徳川家の主力を率いた別働隊が合流できなかったという事件が起こったりしています。

さて、世の中には食料が確保できないとか、違うところの兵士を集めるために違う経路を使って合流した以外にも、わざわざ食料もあるし同じところにいるのに別の道を通って現地集合する戦略機動を好んだ大名家がいます。中国の覇者『毛利家』です。毛利元就の代に最大勢力となったこの家は、戦場にて合流する分進合撃戦術を得意としていました。

古代から敵は包囲すれば勝利できるという原則が存在し、多方向から攻めるという優位は数の劣勢をも覆しました。包囲戦術において世界史に名を響かせるハンニバルはこれを戦場でやってのけましたが、毛利家はこれを戦闘前に執り行うことで勝利をもぎ取りました。

厳島の戦いや折敷畑の戦いなどが代表的で、敵を多方面から包囲し、劣勢を跳ね返す勝利を幾度もあげています。分進合撃による包囲は非常に優れたものですが、戦力を分散させるというリスクを背負うことになり、確固撃破される危険性をいつでも抱えています。

ヨーロッパなどではこの弱点を突いてヨーロッパの歴史を塗り替えたナポレオンなどの名将も存在しているため、決して無敵の戦術でなかったこともわかります。しかし、毛利元就躍進の契機となった厳島の戦いを見ても、決して机上の空論に留まらない威力を持っていることは確かだと思われます。



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