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穿ち抜け


穿ち抜けとは、島津軍が突撃の際に用いた固有戦術の名前です。戦国時代の日本全体を見ても強兵で名高い島津家は独特の戦術を持っており、すでに紹介した『釣り野伏せ』、『車撃ち』、『捨てがまり』などがありました。

穿ち抜け

『穿ち抜け』はこれに続く第四の戦術で、私も最近知ったのでここで紹介させていただきます。さて、手元の資料によりますと穿ち抜けとは、敵陣に穴を穿ってその後方に抜け出る一点突破戦術のようです。

縦列で突撃して決して止まらず、前の兵が倒れると後ろがその穴を埋め、兵の命を削りながら敵陣を突破するという豪快さ。流石、島津と言ったところでしょうか。

この戦術が最も活躍したのはご存知、『島津の関ヶ原中央突破』の時です。退路は撤退する西軍に塞がれ、正面は追撃戦に入る東軍。そんな中、島津は手薄な敵陣目指して中央突破をかけます。この時に使用されたのが『穿ち抜け』です。

敵の小部隊を突破した島津はそのまま敵の眼前をすり抜けるように前方に撤退しますが、そこに徳川最強の赤備え、井伊直政の部隊が追撃に入ります。これをすでに紹介した『捨てがまり』で防ぎ、運よく井伊直政が負傷してくれたおかげで撤退に成功します。

さて、穿ち抜けの考察に戻りましょう。穿ち抜けとは何なのかと考えてみると、縦列突撃という一言で片づいてしまう戦術だと言えます。

単純な戦闘陣形は主に『横列』と『縦列』の二種類に分けられます。 『横列』とは兵士を横に並べる、最も基本的な陣形のことを言います。兵士を戦わせる際、もっとも効率よくその力を発揮するには兵士を横にずらりと並べて戦うことが必要になります。

人間は正面に対して最大の攻撃力を出せるように出来ていることもその理由の一つですが、横に広がった方が敵を押し包みやすいという点も忘れることはできません。

対して『縦列』は兵士を縦に並べます。『横列』に比べ『縦列』は正面に配置する兵士の数が少なくなるために相対的に戦闘能力は低くなります。では、何が優れているかというと、機動力と突破力です。

横にいる人間の数が少ないために、『縦列』は『横列』よりも素早い動きをすることが可能です。歩調を合わせる人間の数が少ないためだと思われます。さらに縦深があるために前の兵士が倒れても後ろに控える予備の兵士が『横列』よりも多い計算になります。

具体的に計算してみましょう。三十人の兵士がいたとして、横列ではこれを縦に三人、横に十人並べます。縦列では縦十人、横三人で並べます。では、この条件下で縦列を横列に突っ込ませてみましょう。

縦列を横列の中央に突っ込ませてみます。正面三人の縦列が横列と戦闘を開始します。縦列三人の迎撃に、横列は横の広がりに優れるために五人で対抗するとします。しかし、残りの五人は距離があるために縦列の三人と戦えません。

突撃は続きます。五対三と局所的な戦力では横列が上回りますが、縦列の兵士は前が倒れるたびに後ろがそれを補充します。縦列はすべての兵力を使えるのに対し、横列は計算上、十五人が遊兵となり、戦闘に参加できません。結果、多大な犠牲を出しながら縦列は横列を中央突破します。

縦列と横列を巧みに操り、勝利を稼いだ将軍としては、ヨーロッパのナポレオンが挙げられます。彼はこれに散開し、伏撃と機動を繰り返す散兵を操りヨーロッパ最強の力を見せつけました。

衝撃力にすぐれ、横に広いために包囲を困難にさせることで防御力にすぐれる横列と、機動力、突破力に優れる縦列は世界的に見ても二大陣形として古代から使用されていました。戦国時代に多用されたとされる八陣も言ってしまえば横列と縦列の組み合わせにすぎません。

『穿ち抜き』は突撃に特化した縦列をさらに極端にしたものと言えるでしょう。今回の考察は、その言葉でもって締めさせていただきます。



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