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戦国の世ってどんな時代?


戦国時代は、時代区分でいうと中世と近世にあたります。いきなり言われても何が何だかわからないと思うので、一つずつ説明していきましょう。

戦国の世ってどんな時代?

歴史の時代区分は古代、中世、近世、近代、現代の五つに分かれます。それぞれの時代において国家はその形態を大きく変えていきました。国家は軍事力によってその存在形態を大きく揺さぶられる存在であるため、その変化は著しいものでした。

------------古代世界の軍事と国家------------

軍事的に考える場合、古代は前期と後期にわけることが出来ます。前期は戦車の時代、後期は歩兵の時代です。古代の馬は品種改良が進んでおらず、ロバのように小さい存在でした。騎乗しても大した戦闘力になりません。

そこで、古代人は馬を複数用意して車輪のついた台を引かせて、その上に人を乗せることにしました。これが戦車です。

戦車は機動力に優れ、重武装の兵士を複数乗せることができます操縦、射撃、格闘と役割の違う人間三人を四頭の馬が運ぶ重戦車が最強の兵器とされました。平地において戦車は無敵を誇り、戦場で戦力を調べる際には戦車の数を数えれば事足りました。

孫子の時代において、一頭の戦車は騎兵七騎に相当し、歩兵七十人に匹敵したそうです。こうして平地国家は巨大化し、文明圏を辺境に広めていきます。しかし、辺境は戦車を自由に機動させる地形に乏しかったため、騎兵より歩兵が重視されるようになります。

平地でしか戦えず、高度な戦術をとれない戦車に比べ、歩兵は柔軟な存在でした。物陰に隠れる伏撃、不整地突破能力、大量に調達できる数など、多くの点で優れていまし。攻城戦も戦車では不可能です。こうして、戦場は歩兵の支配するものとなっていきます。

騎兵もこの頃に生まれました。品種改良が進み、人を乗せて戦えるようになった馬を用い、騎兵は戦場を疾駆しました。しかし、当時の騎兵には鞍も鐙もなく、馬上は不安定で力を発揮しきれません。そのため、騎兵は補助兵科として活躍することになります。

歩兵が主力の時代になると、大帝国が誕生するようになります。大量の人口を擁することで大規模な歩兵部隊を編制できるようになるからです。歩兵は調達が非常に容易であったため、世界史においては東西に漢とローマの二大帝国が誕生することになります。


------------中世世界の軍事と国家------------

しかし、歩兵の時代は長く続きませんでした。次なる時代、中世は歩兵の暗黒時代と言えるでしょう。鐙の開発により、騎兵は馬の上で全力を発揮できるようになりました。

さらに、鞍と鐙の存在は人が馬に乗りやすくすることを助け、幼少時から専門教育を受けた一部の貴族と遊牧民の専売特許であった騎乗をより容易にします。

馬の体重、速度は人間のそれを大きく上回っていました。さらに、自分で歩く必要がないことから騎兵は歩兵より重武装することが可能です。こんな状況下で、なぜ歩兵が戦場を支配できるというのでしょう。

歩兵主力のローマ帝国は騎兵が主力の遊牧民族であるゲルマン民族によってあっさりと滅亡させられます。東の中国でも、漢の後を継いだ秦帝国が崩壊。遊牧民族の国家が中国北部を支配する五胡十六国時代が開始します。

騎兵の天下は千年近く続きました。しかし、歩兵の使用を強いられた国の中から一部の天才が歩兵で騎兵に挑戦を始めます。

南宋の岳飛は重装歩兵に大斧を持たせて騎兵の突撃を防ぎ、機械仕掛けの弓である弩から放たれる矢で重装騎兵の鎧を貫き、歩兵で騎兵に勝利しました。百年戦争ではエドワード王がロングボウで騎士を圧倒します。


------------近世世界の軍事と国家------------

しかし、中世におけるこれらの勝利は、あくまで一過性の勝利でした。最終的に歩兵が戦場の主役になるにはある武器の登場を必要とします。二つあるその武器の一つが長柄槍、もう一つが火縄銃です。

長柄槍は、文字通り柄の長い槍です。通常、槍の長さは扱いやすい2〜3メートルが標準でした。しかし、これでは短すぎて防御戦には不十分です。突撃してくる騎兵を迎撃するには、さらなる長さが必要でした。しかし、重量が重くなり機動力が落ちるために、誰もそれを使用しようとはしませんでした。

文献上、これを初めて騎兵対策に用いたのがスイスのパイク兵です。パイクと呼ばれる長柄槍を装備した彼らは十倍以上のフランス騎兵を、平地で、歩兵のみで大量出血させます。

スイス兵はこの戦いで全滅しますが、数倍の敵を負傷させるほどの奮戦によって祖国を守り切ります。この戦い以降、歩兵は戦場の女王への道を歩み始めます。

長柄槍を構えた歩兵の陣形を、正面から騎兵は突破できない。これは後に戦いの原則となりました。

騎兵が歩兵を駆逐するには側面や背面を突くか、陣形の乱れをつくしかありません。中世でも似たような感じでしたが、その防御力は数段下であり、正面突破が可能なことも少なくはありませんでした。

長柄槍の登場がそれを覆したのです。こうして、戦場は歩兵が支配するものに戻ります。さらに、火縄銃という新兵器が登場します。矢を超えるエネルギーを持つ弾丸を轟音と共に発射する火縄銃は強力な騎兵を一撃で撃破してしまいます。

この二つの武器の特徴は、短い訓練で兵を育成できてしまう点にありました。これは非戦闘員を短期間で戦力に仕立てあげることが出来るということになります。

騎乗という技術は現代で言うところの戦車や戦闘機の操縦のようなもので、訓練には長い時間が必要となります。そのため、騎兵は数を揃えるのが困難でした。

それに比べて、長柄槍兵と火縄銃兵は数週間で戦力化が可能です。そして、この二つの武器は歩兵でなければ使いこなせません。

こうして、再び歩兵が戦場の主役に躍り出ます。この時代を近世と言います。ただ、騎兵はいまだに強力であり、歩兵が完全な主役へと移行する過渡期と言ってしまえるでしょう。

歩兵の復権は国家の軍事体制をがらりと変換しました。いかに騎兵をそろえるかに血道をあげていたのに対し、いかに歩兵をそろえるかに重点が置かれるようになりました。騎兵は重要で下が、昔ほどの価値はなくなっていたのです。

そこで、傭兵が大きな役割を果たすようになります。金で雇われ、雇用契約が終わるといなくなる連中、それが傭兵です。体一つしか財産がなく、教養もない上に軍事訓練も受けてない者が大半でしたが問題はありませんでした。

彼らが習得するべき戦術は、槍と鉄砲の使い方が主となります。つまり、短い期間でそれなりの戦力に育てることが出来ます。十年がかりで鍛え上げる必要のある騎兵とはまるで違います。

さらに、傭兵制は大量の歩兵を確保することができます。そのため、中世に比べて軍隊の規模は巨大化していきました。そして、中央政府は歩兵を大量に確保することが重要になってきます。

こうして、王によって確保された大量の歩兵が主力となり、貴族連中が連れてくる騎兵が補助戦力となります。王の権力は必然的に大きくなり、国家は中央集権的になります。これが近世と呼ばれる時代です。


------------近代世界の軍事と国家------------

近世に続く近代は、大きく二つに時代区分がわけられます。歩兵が時代を支配する前期と、騎兵が復権する後期です。

前期は歩兵の時代です。これは、歩兵の装備がさらに強力になったことで起こりました。歩兵の最強武器であった火縄銃は、火縄の火で火薬を爆発させていました。しかし、火縄は火の維持が大変ですし、火縄の補充も面倒です。

これを解決したのがマスケット銃です。火打石の火花で火薬を爆発させるこの銃は、火縄を戦場から一掃します。銃の使用は容易になり、火を維持しないで済むので、銃兵が密集隊形をつくることが出来るようになります。

さらに、マスケット銃には銃剣と呼ばれる武器が付属しています。これは、銃の先に剣を装備して、銃を槍として使えるようにしたものです。全長2メートル近い長さを持つ銃剣装備の銃は、槍としての機能を果たすことが出来ます。

これが意味するのは、銃兵が接近戦を出来るということです。さらに、銃兵は銃剣で槍ぶすまの真似事が可能です。つまり、銃兵は単独で騎兵を撃破できるようになったのです。このため、槍兵は戦場から姿を消すことになります。

こうなると、もう完全に歩兵が戦場の主役となります。しかし、騎兵はある意味で復権します。銃が全盛になることで、歩兵は銃を防げない鎧を脱ぎました。むき身の歩兵に対して、騎兵のサーベルや槍は大きな威力を発揮します。

さらに、歩兵の銃剣は短く、騎兵の槍がその長さで優ります。つまり、銃兵の槍ぶすまモドキを騎兵が上から叩きのめせるようになったのです。そのため、ナポレオン戦争では騎兵が重要な役割を果たすことが多かったのです。

しかし、ライフルが発達すると馬に乗ること自体が自殺行為になってきます。地面に伏せたり穴にもぐったりして被弾面積を減らせない騎兵は動く的だったのです。機関銃が登場することで、騎兵は完全に息の根を止められまた。

その後の騎兵は人間や荷物を運搬するだけの存在になりさがります。戦場は塹壕にもぐって歩兵が殺しあうという形に変化しました。

軍事史は、歩兵の勃興と騎兵の勃興を繰り返して展開され続けていました。お約束通り、今度は騎兵が勃興しはじめます。しかし、騎兵は馬に乗った兵士という意味ではなくなりますが。


騎兵となる兵士を乗せる馬は、生物から鉄に変化しました。戦車の登場です。ろくな対抗手段がなかったことから、第二次大戦の戦場は、戦車の独壇場でした。空飛ぶ騎兵である戦闘機も、その状況に拍車をかけます。


------------現代世界の軍事と国家------------

しかし、現代においては歩兵が復権し始めます。戦車を撃破できる火力を歩兵が得たからです。こうして、現代においては騎兵がやや優越しているという状況で軍事状況は推移しています。

結果として、強力な戦車や戦闘機を保有する国が人口で圧倒する国に優越する状況が生まれることになります。人海戦術では科学力を上回れないということですね。



------------戦国時代の軍事と国家------------

さて、前置きが長くなりすぎました。戦国時代に話を戻します。戦国時代は中世と近世の狭間です。騎兵の全盛時代から歩兵が強化されはじめ、火縄銃の導入とともに騎兵の没落がはじまります。少なくとも、軍事面ではそうでした。

しかし、政治面では大した発展がありません。なぜでしょうか。それは、主力兵科による国家の成り立ちに問題があります。

歩兵が強い古代では、歩兵の確保できる国家が強力な国家でした。そのため、国はどんどん巨大化できます。人は力です。しかし、中世はそうではありません。騎兵がいなくては、歩兵がいくらいても意味がないからです。

そのため、中世国家は騎兵の保持に奔走します。しかし、騎兵は育成は容易ではなく、育成にも維持にも巨大なコストがかかります。そこで、中世国家は封建制という国家形態をとります。

封建制とは、偉い人が部下に土地を与え、そこの統治を任せる代わりに、自分に従属することを強いる制度です。戦争になれば部下に命じて兵力を提供させます。封建制において土地を任せられた者は封建領主となり、その土地の王様となります。

封建領主たちは自らの国を守るために軍備を整えます。中世なので、まず大切なのが騎兵の育成です。封建領主たちは、自分たちでコスト支払い、騎兵を育てます。子供のころから馬で訓練して、戦場で役に立つように育てるのです。

偉い人はいざという時、彼らを招集して戦います。戦費は部下もちであるため、騎兵の育成も戦費も部下のサイフから出るので、封建制は安価に強力な部隊を揃えることが出来ます。しかし、封建領主は独立勢力であり、いつ裏切るかわからないという危険性を内包しています。封建制最大の弱点がこれでした。

しかし、近世になると歩兵が強化されます。国の基礎は歩兵になるため、古代のように中央集権の国家が生まれていきます。貴族と封建領地は残りますが、補助兵科である騎兵の供給地という意味合いが強くなり、独立勢力としては弱小すぎる存在となるのです。

ナポレオン戦争以降の近代国家になると、もはや封建領主に生きる世界はありません。国家は現代人が住む、現代人が想定する国家になるわけです。

では、戦国時代はどうだったでしょうか。歩兵が主力兵科となっていく過渡期でありながら、いまだに中世的な国家体制を維持して戦争をしていました。軍事面では完全に近世軍なのに、国家は封建国家なんですね。

つまり、戦国時代とはそういう時代だったのです。だからこそ、封建領主である武士はその家ごとに独立勢力として時代の趨勢を左右する力が発揮できたわけです。





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