戦国紫電将のトップページに戻る




トップページ
サイト紹介
戦国考察コンテンツ
オススメ
リンク

紙砲と木砲


巨大な弾丸を放つ大筒には特殊な素材で作られたものが存在します。それが紙砲木砲です。当時、金属は貴重であったため、大筒という兵器は作るのが困難でした。それに比べ、木や紙は森の木を切り倒せばいくらでも手に入ります。そこで、木や紙で大砲を作ろうという発想が生まれました。

紙砲と木砲


南海治乱記と呼ばれる書物に、この兵器が初めて登場が確認されます。「大友家より伊予の河野通直へ鉄砲の製作法を伝えたが、大砲の鋳造が容易でないため、松の生木に穴を作り竹で補強したものを海岸に並べ、攻め寄せた毛利水軍の船数隻を撃沈した」とかなんとか。

ちなみに補強材は竹がベストらしく、最初は金属の輪で補強したところ、爆発に耐え切れなくて四散したとの文章も見受けます。木砲の材料は桜、楠、松のような水に腐らない強い木がオススメであったようです。

一部の専門家によると、木材では火薬の爆発に耐え切れないため、実際は焙烙玉や棒火矢、花火玉の発射に使われたにすぎないとおっしゃる方もいます。ちなみに焙烙玉は手りゅう弾、棒火矢は焙烙玉を取り付けたロケットとでもお考えください。

実際どうだったかとうと、私としては発射可能であったと考えます。もちろん普通の大筒のうように何発撃っても大丈夫とは思えません。国崩しをはじめとする大筒ですら、爆発の危険性が付きまとったくらいなのです。銅製の鉄砲を使っていた中国では、十発も撃つと銃身が破裂するなど、運用には非常に気を付けていたほどです。

ですので、数発撃って使い捨てるというのが普通であったと考えられます。それでも、金属製より軽量であることとコストが安いことなどから、結構な数が使われたものと思われます。博物館とかに行くと、たまに木砲が残ってたりするので、見てみるといいかもしれません。

ところで木砲で弾丸が発射できた根拠ですが、まだあります。実は世界の大砲を見てみると、金属でない銃身のものをたまに見ることができるからです。例えば、欧州の軍事改革者であるグスタフ・アドルフあたりは、革製大砲を作って運用していました。この人は兵器の軽量化に命をかけた人間なので、火縄銃や金属大砲など、いろいろなところで軽量化を実施しています。

中国では竹の中をくりぬいたマッチロック式の手砲を作成しています。有効射程五メートルくらいの微妙兵器ですが、爆音と破壊力に間違いはないので、それなりに有効ではあったと考えられます。

ちなみに、非金属砲の仲間に紙砲というのがあります。和紙をノリで重ねていき、大筒にしたものです。こちらは紙を使うためにさらに作成が容易です。丈夫さはどうかわかりませんが、結構頑丈であるような気はします。確実に使い捨てでしょうが。

さらに言うと、日露戦争の日本軍が迫撃砲発射に木か紙の砲を使ったなど、意外と息の長い兵器のようです。ドイツのパンツァーファウストの銃身はダンボールだった気もします。紙や木はコストと軽量さが売りなのでしょう。

このように、技術のない武将や金のない武将は、工夫によって武装の弱小さを補い、戦乱の時代を生き抜こうと努力しました。興味のある方は、ぜひとも博物館などで実物を見ていただけると幸いです。


前に戻る



コンテンツ

TOPに戻る