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馬防柵


馬防柵は源平合戦のころから使われた防御装置です。木を組み合わせ、縄で縛りつけて固定して作ります。こうして作られた柵は敵の侵入を阻む障害物として機能します。

馬防柵

馬防柵は、その名の通り馬を防ぐ柵です。人間の侵入を阻むという効果も、もちろんのことありますが、何よりも大きな役割は馬の機動を妨害することです。

平地での戦いでは、騎兵こそが戦場を支配します。しかし、馬は平地しか走ることができません。そこで、馬を防ぐために障害物を置くと言う発想が自然に生まれました。

日本でよく見られた、簡単な防御装置として置き盾があります。人間の身長に近い高さの木の板で、主に弓を防ぐのに使います。これを大量に並べることは、馬を防ぐ効果を生み出しました。

お隣の中国では、この置き盾に車輪をつけた車と呼ばれる兵器が活躍しました。しかし、これらは機動性に優れる代わりに、馬を防ぐ効果は不完全なものでした。

馬防柵は地面に木の棒を埋め込むことで、その防御能力を大きく向上させることが出来ます。これの破壊は難しく、接近して押し倒す必要があります。設置型であるため、長い距離を防御することが出来るのです。


丘稜の上に柵を並べた程度のものが城と呼ばれていたような状態を考えれば、日本においていかにこの兵器が優秀であったかが分かるでしょう。ちなみに、日本において城は昔、柵と呼ばれていました。柵がいかに重要かがわかっていただけるでしょう。

馬防柵は、事前に設置が必要な防御兵器であったため、使いどころの難しい防御兵器です。しかし、これを積極的に野戦で活用した人物がいます。

説明の必要もないかもしれません。その人物とは、織田信長その人です。彼は長篠の戦において馬防柵を陣地に張り巡らし、迫る武田軍団を柵の後ろから射撃し、国力を大いに消耗する大敗北を叩きつけました。

この際、柵のみならず空堀といった防御装置を組み合わせていたようです。竹束のカテゴリーで話題に出た本の作者は、ヨーロッパで行われた野戦築城戦を参考しにしたのではないかと考察しています。実際、ヨーロッパでは野戦築城戦がよく行われ、強固過ぎる野戦築城をしたせいで敵が攻撃してくれなくて無駄になったという事例もあるそうです。

織田信長の勝利には野戦築城による迎撃戦という発想のみならず、武田軍に攻撃を強いたという事実が不可欠だったということがわかります。


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