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後装砲


火薬兵器のカテゴリーの中でも最強の部類の入るのが、この巨大な砲身をもった大砲です。火薬の時代以降、ヨーロッパは世界最強地域となります。初期の大砲は主に東ユーラシアで使用され、モンゴル拡張後にはヨーロッパで使用されました。

後装砲

しかし、初期の大砲は聞くだけで笑いが止まらなくなる性能しかもっていません。ろくに飛ばない弾丸、破裂する砲身、運搬時の疲労で使いものにならなくなる馬。発射時の音だけは立派で、虚仮脅しもいいところでした。

しかし、それでも大砲は有用な兵器でした。すさまじき爆音は敵兵の心を動揺させます。異文化圏で火薬を知らない者は、これで精神をやられます。

モンゴル軍の火砲にさらされたロシア人は、大砲を知らなかったためにモンゴル軍がドラゴンを兵器として使用していると勘違いしたそうです。当時の大砲は石を弾丸として飛ばしましたが、その威力は城壁を崩してしまうほどすさまじいものへと進化していきます。

大砲は、分厚い砲身を持っていました。このために大砲は恐ろしく重いという弱点を抱えていました。しかし、その強度は大量の火薬の爆発に耐えることが出来ます。その爆発によって生じるエネルギーは、巨大な石弾を高速で射出することが出来ました。

当時、これを最も好んで使用したのがオスマントルコでした。メフメト二世は石弾を発射する大砲の力で千年存在し続けたビザンツ帝国の誇る、世界最強の要塞であるコンスタンティノープルの三段防壁を打ち砕き、陥落させるにいたります。

その後、さらに進化した大砲は軽量化され、弾丸も石から金属へと変化していきます。日本の戦国時代に持ち込まれた大砲で有名なのは大友宗麟の所有する『国崩し』でしょう。これは後装砲と呼ばれる種類の大砲で、仏野機(フランキ)と中国人に呼ばれる兵器でした。

後装砲とは弾丸を砲の後ろの部分から装填する大砲で、子砲と呼ばれるブリーチを装填することで比較的高速で射撃を行うことができます。しかし、後装砲は大きく二つの弱点があります。

一つは装填のために使用する子砲のせいで無駄な隙間ができ、そこから爆発力がもれて威力が低下してしまうこと。 もう一つは、その隙間のせいで構造的に脆弱で、下手をすれば大破して使用者を殺傷してしまうことでした。

この危険は砲手にとって常につきまとい、スコットランド王ジェームス二世さえこの爆発事故で死んだと伝えられます。結局、時代が進むに連れて後装砲は旧式となっていきますが、大阪の陣では朝鮮戦役で鹵獲した敵側の後装砲が活躍したとする文献も存在します。

しかし、それ以後は国産の前装砲と呼ばれる砲にその座を取って代わられることになり、その役目を終えていくのでした。



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