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城砦の種類


城にはいくつか種類があります。おおざっぱに分けると、本城、支城、向城、繋ぎ城、付城です。一ずつ見ていきましょう。

城砦の種類

本城は戦国大名の居城です。最大規模で最強の防御力を持つことが多いです。その強靭さから攻め落とすことは難しく、下手をすると数年がかりの包囲戦に突入することもあります。

支城とは本城から離れた辺境の土地を管理するための城です。当時の国は城とその周辺が戦略単位であったため、非常に重要なものでした。

向城とは最前線に築かれる城です。敵国の監視のために存在し、また、敵の攻撃に際しては真っ先に攻撃を受けるためにそれなりの防御力を持たされています。

繋ぎ城とは、本城や支城のような重要拠点の間に存在する城です。情報伝達のための兵士を置いていたり、食料が備蓄してあったりと小さいながら役にたつもので、これを間に挟むことで城砦ネットワークは機能します。

付城は敵の城を包囲する際に、敵の城の正面に築く城です。長期間の包囲となると敵の奇襲も怖いですし、毎日野宿というのも大変です。そこで、防御拠点を用意し敵の伝令や補給部隊のみに警戒すれば足る状況を作るために、防御拠点を設置するのです。

このように、城にはいろいろな種類があります。城には大小と防御力の強弱があります。見張り台以外の拠点にはそれなりの防御力がありました。なぜでしょうか。

城は存在すれば存在するほど意味があります。例えば、軍勢を率いて敵を攻める場合を考えてください。主力部隊とは別に、後方で本国や味方と連絡を取る伝令、物資を運ぶ補給部隊などが動くことは容易に想像がつくでしょう。

しかし、敵の城が残っているとそうもいきません。城の中の敵は簡単には倒せません。倒そうとすれば、こちらに大きな被害が出る恐れもあるのです。

では、小さい城だからと放置すると何が起きるでしょうか。城の兵士はこちらの大軍が去った後で城を出て、こちらの後方部隊に嫌がらせをはじめます。

伝令は捕えられ、補給物資は奪われるか焼かれるでしょう。このように、小さな城とは攻め落とすのは面倒だが、放置もできない存在であるとわかるはずです。

一番簡単な方法は、城に籠る兵士の二から三倍の兵で城を包囲し、敵の兵を城の中に押し込んだ状態で先に進むことです。しかし、これでは前進のたびに戦力は減っていきます。あまりやりたい戦術ではありませんね。

城は小さいものでも、それなりに役に立ちます。城が領土の単位となるという言葉の意味がわかっていただけるでしょう。城は存在するだけで敵の兵力を奪えるものなのです。

そこで、戦国時代では城単位で政治が進みます。戦国大名は敵国の城持大名をなだめすかして味方に引き入れようとします。これを調略と言います。

もし、敵の最前線の城が味方につけば、それだけで領土が増えます。その城の侍や足軽も味方になるので、領地と軍隊が同時に増えます。多数の地方政権の寄りあいである封建制ならではの現象です。

調略に成功すれば、簡単に城を吸収できました。手に入れた城は兵で包囲する必要もないので、敵国への進行が楽になることでしょう。 むしろ、食糧や兵を提供してくれる最前線の拠点として大活躍してくれます。


戦国時代において、これらの出来事を一発で理解できるものとしては、関ヶ原に関連するある戦いを見るとわかりやすいです。いわゆる、第二次上田合戦ですね。

三万八千を率いる徳川別働隊は、家康に合流すべく岐阜に向かって移動していました。しかし、途中には二千の兵がこもる上田城が存在しています。

徳川秀忠は調略によってこの城を接収しようとしますが、真田昌幸は巧みな交渉術により開城を引き伸ばし、徳川別働隊を足止めします。

真田方に開城の意思がないと判断した秀忠は上田城を攻撃。しかし、昌幸は二千の兵でこれを退けます。

兵力差があるので城は落とせなくもないのですが、こんな小さな城に構うことが今回の目的ではありません。それに、力攻めでは被害が出ます。主要な戦場は関ヶ原なので、真田さんと遊んであげるヒマはないのです。

そこで、秀忠は上田城を包囲した状態で放置。関ヶ原に向かいます。しかし、戦いの決着は一日でついてしまし、徳川別働隊三万八千はクソの役にも立たずに終わってしまったのです。

このように支城は敵軍を妨害、拘束し、兵力の減少を強要できます。城砦ネットワークの効力はすさまじく、中でも北条家のそれは戦国時代でも際立ったものであったと言われています。




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