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野戦築城


野戦築城とは平地を要塞化し、敵との戦いにおける相対優位を得るための戦術です。穴を堀ったり、木の枝を植えたり、馬防柵を建てたりなど、あらゆる要素で敵の攻撃を防ぎます。ヨーロッパではよく使用された戦術でしたが、これを平地において日本で始めたやったのが信長でした。

野戦築城

三段備えの馬防柵に堀を用意した強力な野戦陣地は、攻める方にとっては要塞を相手にしているようなものです。攻撃は非常に困難となります。長篠の戦いでは、武田家はこれに正面から攻撃してしまい、国力を大いに衰えさせる大敗北を喫することになったのです。

この戦いは、良くぞ鉄砲と陣地防御を組み合わせたと信長を褒める方も多いし、それも間違っていませんが、真に評価すべきは武田家を決戦に誘い込んだことです。ヨーロッパでも野戦築城が行われたことは話しましたが、実はこの野戦築城、相手が攻撃してくれなければ何の価値も存在しないものなのです。

あまりに強固に作りすぎてしまったために敵が攻撃してくれなかったということもヨーロッパではあったらしく、長篠の戦いを記録した文献にも「敵が攻撃してこなければ何もすることができなかった」などと書いてあるそうです。

信長はこの問題に対し、別働隊を機動させて武田軍の後方の城を奇襲して陥落させることで武田の退路の一部を断ちました。撤退を困難にさせたことで、武田軍は織田の野戦軍を撃破する以外の道を失ってしまったのです。

野戦築城は強力な戦術ですがそれを攻撃してくるかは敵の意志にかかっています。長篠の戦いにおける信長は野戦築城と攻撃強要、この双方の点で褒められるべきと考えられます。



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