戦国紫電将のトップページに戻る




トップページ
サイト紹介
戦国考察コンテンツ
オススメ
リンク

釣り野伏せり


釣り野伏せりとは、誘因伏撃戦術です。あらかじめ部隊を複数に分けて置き、おとり部隊に敵を攻撃させてわざと撤退、それを追いかけてくる敵をあらかじめ隠しておいた部隊のいる場所におびき出し包囲して撃破するというもの。

釣り野伏せり

あまりにもありきたりで効果抜群な戦術であるため、古今東西を問わずあらゆる名将が一生の内に一度くらいはやっていると言われるほどポピュラーな戦術です。

野戦の戦術というよりは奇襲に近い性質を持つため、数倍の敵を撃破することも可能なこの戦術ですが、言うは易し行うは難しと言うように実践は非常に難しいものです。ところが、これを得意技として戦国最強の一角を担った勢力がありました。戦国ファンならもちろんご存知、南九州の『島津家』です。

一説では、鉄砲が最初に日本に訪れたとされる種子島。そのそばにあるこの家では、鉄砲を入手する機会に恵まれており、大量の鉄砲がこの戦術の威力を高めたのは間違いないでしょう。

さらに聞いた話では、島津家では限りある鉄砲を有効活用するために足軽のような雑兵ではなく、武士が優先的に鉄砲を手にして戦ったそうです。訓練の行き届いた侍が使っていた以上、その質は他家のそれを上回っていたことでしょう。島津は釣り野伏せりを多用し、幾多の戦いを劣勢な数で勝利してきました。

二倍、三倍は当たり前。時には十倍の戦力をも撃破してしまっています。その力で島津は九州統一の一歩手前までいきます。しかし、勢力拡大による質の低下をおこします。圧倒的大軍で襲い掛かる豊臣秀吉の侵攻にはこの戦術も成功せず、屈して勢力を大幅に減退させます。

得意の釣り野伏せりは敵が挑発に乗らなければ意味のない戦術であったため、いかに島津とは言え、誘いに乗らない敵を撃破することは不可能だったのです。




次に進む

前に戻る



コンテンツ

TOPに戻る