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豊臣家の戦闘教義


織田家に続き、次は豊臣家を見ることにします。天下統一を果たした豊臣家は織田家の戦闘教義を引き継ぎ、その力で日本最強の座を得ました。では、戦術と軍隊をそれぞれ確認してみます。


『戦術面』
機動戦
内戦作戦
野戦築城
三段撃ち
大規模攻城

『軍隊面』
火力主義
遠戦主義(弱兵対策)
兵農分離
傭兵常備軍


ほとんど織田家と同じですね。では、それぞれ細かく見ていきましょう。


------------戦闘教義の継承------------

はっきり言って、ほぼすべてが織田軍団のコピーです。なぜなら、豊臣家は織田軍団だったわけですから、違いがあるわけがありません。ただ、直轄領地の違いから兵質に差がある程度でしょうか。



------------戦国最速の軍団------------

豊臣家の得意戦術はやはり機動戦です。と言っても、これは秀吉直卒時に限った話ではありましたが。

秀吉の機動戦はあまりにも有名で、山崎の戦いまでの間に見せた180キロを6日で爆走した中国大返し、賤ヶ岳の戦いで見せた52キロを5時間で爆走した美濃大返し。織田の戦闘教義を引き継いだ軍団だからこそ出来た機動戦であったと言えるでしょう。



------------得意の土木工事------------

織田家の高い土木技術を受け継ぐ豊臣家は戦場を作り変える力に長けていました。豊臣家が得意とする城の包囲戦において、敵は重厚な包囲陣を突破できませんでした。このしっかりとした防御力が兵糧攻め成功の要となります。

水攻めなどの際には堤防で水を塞き止め敵城を水びたしにするなど、積極的な攻城戦も行っています。 攻城戦の巧みさは、織田家の一軍団の頃から日本の中でも飛び抜けた存在として知られていました。

しかし、中でも特筆すべきはやはり野戦築城でしょう。戦場を即席の砦に変えて戦力比を塗り替えるこの技術は、秀吉の合戦のみならず、豊臣家としての合戦でも活躍しました。

賤ヶ岳の戦いの戦いでは豊臣家・柴田家ともに野戦築城を行い、にらみ合いをつづけました。同種の戦闘教義を持っていたために、お互いが攻めあぐねたと言ったところでしょうか。

次には、ご存知、関ヶ原の戦いです。石田光成率いる豊臣家の西軍は実数なら徳川の東軍に勝っていました。しかし、多くの武将が日和見を決め、実際に戦った数は半数程度。

しかし、それでも光成は互角以上の戦いを演じます。理由は野戦築城です。陣地構築をした光成の西軍は、数で劣りながらも、東軍の攻撃に対し一歩も引けをとりませんでした。これは光成が陣地構築している戦場で東軍が戦ったことが大きな理由です。

このように、織田家から引き継いだ戦闘教義は、多くの面で豊臣家に利することになったのです。



------------秀吉個人の戦術能力------------

信長と違い、秀吉はあまり華々しい戦果をあげていないように思えます。基本、独立勢力として動いた戦いは全て敵より多勢であり、勝つべくして勝ったという印象が強いからです。

そのため、あまり強い印象はありませんが、実は結構強いです。まず、攻城は戦略面からすさまじく、いくつもの堅城を降伏させています。武田信玄や上杉謙信が落とせなかった小田原城さえも陥落させています。

大軍の動員とその行使などは、やはり織田信長から多くの知識を引き継いだことによる実績なのでしょう。

後は機動戦です。秀吉の死後、豊臣家は大した機動戦を演じていません。やはり、信長以上の快速は秀吉あってのものだったのでしょう。

奇襲などに関して秀吉は大きな資質を持ちませんが、代わりに彼は防御戦において武勇を見せ付けた経験があります。金ヶ崎の戦いでは見事に殿をつとめあげ、三千の兵が五百に減るまで戦い抜き、本隊の撤退を援護します。

織田家の将軍四人に対してそれぞれあだ名がつけられており、それが各々の個性を物語っています。かかれ柴田に退き佐久間、米五郎左に木綿藤吉。この四人にはそれぞれ特徴がありました。

攻撃に強い柴田、撤退戦が巧みな佐久間、地味だが米のように必要な丹羽、そして木綿のように頑丈な秀吉という意味があります。粘り強さを見せる秀吉は、すでにこの頃から戦上手として知られていたのでしょう。



------------豊臣家戦闘教義の総括------------

豊臣家の特徴をまとめるならば、火力・防御・攻城の三つでしょう。機動は秀吉独自のもののため、分割して考える必要があります。

織田家の戦闘教義を見事に引き継いだ豊臣家はその力をいかんなく発揮し、天下の統一に成功しました。

しかし、秀吉という中心人物を欠いた豊臣家にかつての力はなく、わずかに石田光成が野戦築城で徳川を苦しめる程度に終わってしまうことになるのでした。



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