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火縄銃の口径と種類 |
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戦国時代の流れを決定した火縄銃。これは多くの種類が存在しており、戦国武将たちはこれをうまく使い分けることで戦いを勝ち抜いていきました。では、この火縄銃について詳しく見ていきましょう。 当時の火縄銃は、工場生産ではないために全てが手作りです。部品の流用などが出来ず、なかなか使い勝手の悪い物でありました。厳密な意味で、同じ銃は一つとしてなく、部品流用が出来るものは限りなく珍しい物でありました。 では、まず口径から分類してみましょう。専門用語を使わなくてはならないので、まず弾丸の大きさから紹介します。 【口径一覧】 一 匁→ 8.7mm 二 匁→ 10.7mm 三 匁→ 12.3mm 四 匁→ 13.5mm 五 匁→ 14.6mm 六 匁→ 15.5mm 七 匁→ 16.2mm 八 匁→ 17.0mm 九 匁→ 17.7mm 十 匁→ 18.3mm 二十匁→ 23.1mm 三十匁→ 26.5mm 百 匁→ 39.5mm 一貫目→ 84.2mm まぁ、だいたいこんな感じです。それでは、わからなくなったらこれを確認しながら読んでいってください。 『銃の常識』 この話題を理解する際に覚えておいてほしい事を羅列します。とりあえず、頭に入れておいてください。 ----1:銃の口径は大きい方が強い---- あたりまえですね。だからこそ、重要です。口径の大きい銃は弾丸が重いために、破壊力が大きくなります。ただし、重い物を飛ばすにはより多くの火薬が必要なため、射撃時の反動が急上昇します。 ちなみに、一匁弾の重さは3.5gですが、十匁弾の重さは36g弱です。威力は速度の二乗×重量なので、重量の占めるウェイトは大きいです。 ----2:銃身が長い方が威力が高く射程も長い---- 銃身が長いと、弾丸がより長く火薬の爆発から運動エネルギーを受け取れます。つまり、銃は長い方が強いのです。ただし、代わりに取り回しが難しく、重くなります。馬の上では長い銃は使いにくいので、短い物を使う事が多かったそうです。 標準的な長さは130センチメートルで、用途によって長さが違います。短ければ短いほど運用が楽ですが、戦闘能力の低下は避けられなかったでしょう。 ----3:円弾だったのでいろいろと微妙---- 弾が丸い金属の塊だったので、空気中を直進する際に安定しませんでした。空気抵抗もすさまじく、距離が離れれば離れるほど威力が減じるという特性がありました。さらに、命中率も距離を増すごとに低下します。 戦国時代から二百年後のナポレオン戦争の時代になると、少しマシになります。銃の中にライフリングが刻まれることで、ジャイロ効果が発生し、射程と威力が少し向上するようになったのです。ただし、弾込めに異常な労力を必要としたので、主流の武器ではありませんでした。 そのため、距離があると鎧を貫通できない程度の威力しかありません。威力を上げるには鎧の鉄板を分厚くする必要があります。4mm装甲の南蛮胴なら、ある程度の距離が離れていれば結構弾き飛ばせることあったようです。 それでは、見ていきましょう。 『口径による分類』 【小筒】 この名前での分類があるかどうかは不明。資料によって言ってることが違うので、だいたいこんな感じと受け取ってもらえると幸いです。1〜3匁の口径を持つ銃で、銃身が細く長いのが特徴。長さは1.3メートル、重さは3キログラム前後と、非常に扱いやすいものでした。 標準的な火縄銃の口径は2〜3匁で、これぐらいの口径の銃なら1mm程度の鉄板の上に革を張った程度の鎧を持つ足軽の鎧を余裕で貫通できます。でも、敵が侍クラスだと、貫通できないこともあったでしょう。このサイズの銃は番筒と呼ばれることもあります。 ただし、相手が五十メートル以内にいてくれれば、貫通成功率は高かったものと思われます。ちなみに、1匁口径の銃は実戦用ではなく練習用です。 【中筒】 4〜10匁の口径を持つ銃。資料によってはもう少し小さい筒を分類していることもあります。中筒は4〜6匁で、馬上筒に多い口径と言う資料もありますが、まぁ今回はこのような感じの分類で。中筒は比較的口径の大きい銃で、威力に優れる代わりに衝撃もすさまじく、使用するにはそれなりに訓練されている必要がありました。 特に10匁クラスの銃は士筒とか侍筒とか呼ばれており、そのすさまじい威力は簡単に鎧を貫通出来たことでしょう。もちろん、距離が遠いと余裕ではじかれますが、そのために侍筒があったと言えるでしょう。 重量に問題のある銃が多く、130センチの長さを持つ場合、3キログラムを超えることもしばしばでした。侍筒にいたっては、100センチちょっとの重さしかないのに五キログラムを超えます。火薬の爆発に耐えるために、短くする必要があったのでしょう。 一人の兵士が隊列を組んで普通に扱える限界的な大きさの筒が中筒です。強力な中筒は短い代わりに扱いやすい長さなので、先陣を切って敵に突っ込んでいく侍にはお手頃な兵器であったことでしょう。 【大鉄砲(大筒とも呼ぶ)】 30匁〜1貫の口径を持つ銃。西洋では大砲扱いされる大口径銃です。人間を狙うというよりは構造物破壊のために用いられました。貫通力があるので、敵の陣形に向かって使うというやり方もあり。 幕末においては土方さんが城門破壊に使うなどしていたので、攻城兵器として活躍していた可能性が高いです。ちなみに、船の上での戦いでは船が構造物であるため、かなりの活躍をしていた様子です。 基本的に抱えて撃つものではありあませんが、凄腕の撃ち手は両手で抱え撃ち出来たそうです。反動が凄すぎるので、1貫筒の場合は後ろに転がって衝撃を逃がしたのだそうです。 【狭間筒】 主に城の防衛用に使用された銃。1.5メートルから2メートルの長さがあります。長くて扱いづらく、重く、どうしようもない銃なので、普通の野戦で用いられることはありません。2〜3匁の口径でも侍筒と同程度の重量があります。侍筒は重すぎると思います。 銃身が長いために火薬の爆発が効率的に活かされるこの銃は、通常の銃を超える射程を誇ります。たぶん、名人なら100メートルくらい先を狙い撃ちできたかもしれません。筒の長さは威力の高さに繋がるので、同口径の銃よりも威力が高かったことでしょう。 この銃は城以外でも船で使われることもありました。基本的に、船は重量物の運搬を容易にするために強力な兵器を運びやすかったためでしょう。 【鉄散弾銃(塵砲)】 散弾をバラまく、近距離制圧用の銃。点ではなく面を制圧できるため、短い射程での戦いでは大きな優位を確保できたことでしょう。長さは60〜80センチ、重量は2〜3キロとやや重め。6mmの弾丸をまとめて発射したとされます。 太く短い銃身が特徴的で、大きな口径と極端に小さい握りを持っていました。弱点としては、遠距離戦においては大した力を持たないことでしょう。もちろん、通常口径の弾丸も入れられるので、普通の使い方もできました。 大筒で散弾を撃つこともあったらしく、その場合は百人殺しの異名で呼ばれる凶悪な散弾銃となりました。基本的にこの時期の銃は中にライフリングが存在しないため、どの銃でも散弾銃にしてしまえる応用力があります。 散弾を撃つための銃として作られたのが鉄散弾銃というだけで、別の銃でも十分代用はできましたし、その逆も可能であったということです。 【馬上筒】 通常の火縄銃より短く、軽く作られた銃。重量は1〜2キロ程度で、50〜80センチメートルくらいの長さがあります。この程度の長さなら不安定な馬の上でも弾丸を補充できるため、地面に降りることなく射撃が可能です。 ただし、銃身が短いために火薬の爆発を活かしきれません。結果、威力、射程ともに通常の銃に劣ります。射程は30メートル程度と言ったところでしょう。ちなみに、お偉いさんしか使わない銃なので、口径は一律ではなく使い手の好みで決まっていました。 【短筒】 馬上筒をさらに短くした銃です。拳銃に近い存在で、近距離戦闘で使用されました。長さは30〜40センチ程度。重量は1キロ以下で、片手撃ちが可能なものでした。射程は10メートルが限界で、これ以上先を狙う事は無謀だったでしょう。 腰にさしたり胸に隠し持ったりと、柔軟な運用が可能なこの銃は、効果的なサブウェポンとして機能したことと思われます。騎兵が抜刀突撃する直前に、景気づけに使用した可能性もあったかもしれません。 ちなみに、西洋では味方の処刑用として主に使われました。陣形を作る兵士の中で、怖気づいた者が逃げ出した時に、それを背中から撃ち殺すのです。案外、戦国武将も似たような使い方をしていたのかもしれませんね。 このように、火縄銃は多く種類分けされて運用されていました。状況や使用者に応じて使い分けることで、最大の効果を発揮するように作られていたわけです。 次に進む |