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戦国時代の地域銃 |
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戦国時代において、火縄銃は多くの地域で生産され、使用されました。銃は制作地によって違った特徴を持っていました。後世のナポレオン戦争ほど規格化されていなかったため、大きな違いはありませんでしたが、その差異を少し大げさに語ってみるとしましょう。 『銃の生産地』 平和な江戸時代に入った後は、各地で銃が作られています。しかし、動乱の戦国時代では特定の地域で火縄銃が生産されることが多かったと聞きます。戦国時代初期は火薬が国産化できていなかったこともあって、貿易港を抑えていることが重要な意味を持ちました。 初期の生産地はとして有名なのが、薩摩(鹿児島県)、豊後(大分県)、根来(和歌山県)、堺(大阪府)、国友(滋賀県)です。どこも近くに貿易港を持っているのが特徴で、国友は内陸でしたが、尾張に近く、信長の支配下であったために大きな問題にはなりませんでした。 戦国時代後半から生産を頑張った国としては、肥前(佐賀県)、備前(岡山県)、米沢(山形県)、仙台(宮城県)あたりが挙げられます。それでは、それぞれの銃について見てみましょう。 【薩摩筒】 鉄砲伝来の種子島に近いことから、伝来当初の形を最も残していると言われる銃。長さは110センチメートル前後、口径は6匁のものが多いようです。重量は2〜4キログラムで、独特の内カラクリを採用しており、後部が大きめなのが特徴。 この鉄砲を見るに、薩摩兵は威力を重視した銃を好んでいる事が見えてくる。射程は犠牲にしているようですが、薩摩の強兵っぷりを見るに、これで十分ということなのでしょうか。 ちなみに、ナポレオン戦争時代に世界を支配したイギリスのマスケット銃であるブラウンベスは、扱いやすく短く太い銃身を好んだらしいです。フランスの細く長いシャルルヴィルとは正反対だったようで、短い銃身が決して間違っていないことがわかります。 【豊後筒】 不明。知っている人がいたら教えてください。 【紀州筒】 鉄砲傭兵隊がうろついていた地域の銃です。種子島に流れてきた銃のうちの一つが来たという伝承があるだけあり、生産は早かったものと思われます。130センチを超える長い銃が多く、重量は3キログラム未満。 細く長く軽いのが特徴で、ナポレオン戦争で言えばフランスのシャルルヴィルに近い性能であると言えるでしょう。射程と威力に優れますが、取り回しずらかったことでしょう。比較的小口径が多く、標準サイズである2〜3匁が一般的でした。 【堺筒】 貿易港である大阪付近を抑える堺の銃です。ここの銃はいかにもな標準タイプの銃で、長さは130センチ、口径は2〜3匁、重さは3〜4キログラムとケチの付けようがないほど普通です。 特色としては、銃身の中に入れた弾丸を火薬を押し込むカルカが細かった事です。軽いのはいい事ですが、折れやすくてやや実用性に問題があったものと思われます。現存する四割がこの堺筒なので、そうとうな需要があったと考えられるでしょう。 【国友筒】 琵琶湖に面し、交通の要衝であった国友の銃です。良質な鉄を使っているのが特徴であり、幡磨や出雲から水運を利用して輸入していたそうです。木材は熊野産であったらしく、木も鉄も最上の物が使われていました。 大きさは標準サイズの物が多く、口径や銃の種類が非常に豊富であったようです。二重ゼンマイカラクリのものが多いのも特徴であり、命中精度においては群を抜いていたことでしょう。 【肥前筒】 貿易に有利な九州、しかも長崎という一級の貿易拠点の銃。薩摩筒に似てか口径の割に銃身が太い物が多く、重量もがっちり重い。銃身は短く銃床に浅く入っているところに特徴があります。木部は赤い漆に塗られていたそうです。鉄質はなかなか良いようです。 長さは110センチ前後であり、重量は口径ごとに3〜10キロと様々。九州の銃は短く太いのが特徴なのかもしれません。 【備前筒】 瀬戸内海に位置し、水運に恵まれた備前の銃。鉄製の外バネカラクリを持つものが多く、サイズも標準であることが多かったようです。 口径が小さい物が目立ち、銃身がやや長めなものが少なくないことから、海戦で活用された可能性が高いでしょう。 【米沢筒】 軍神・上杉謙信の後継者たちの運用した米沢の銃。標準的で特に目立った運用上の特徴はないようです。ただ、10匁筒に妙に力が入っており、非常に有名。 長さ1メートル、重さ6キロの十匁筒は運用は難しいが威力に優れており、日本最高の兵の一つとして知られる上杉だからこその銃と言えるのかもしれません。さすが、上杉は格が違ったというところでしょうか。 【仙台筒】 海外貿易が大好きな伊達政宗の支配する仙台の銃。標準よりやや短めの120センチ前後の銃が多いように思えます。仙台では鉄砲普及率が高く、大阪の陣では半数近くが銃を持っていた様子。国友のように多口径多種類の銃を取り揃えています。 どちらかというと、シンプルで口径の大きい銃が多かったようです。上杉といい伊達といい、デカイ口径がお好きなようで。口径が大きいのは東北筒の特徴なのでしょうか。騎兵が使用するための馬上筒の数が妙に多い辺り、騎馬鉄砲隊の伝説に信憑性が増してくる所であります。 【土佐筒】 四国の大英雄、長宗我部家の支配していた地域の銃。とは言え、どちらかというと後継者の山内家のものかもしれなません。土佐筒は国友筒の影響を受けた銃のようで、比較的そちらよりのような印象を受けます。 資料の銃は内カラクリ式で、銃身は分厚く頑丈な様子。資料がないので断言できませんが、国友系は標準サイズなので、その傾向があるのではないでしょうか。 【長州筒】 西国最大の戦国武将である毛利家が頑張っていた地域の銃。標準サイズではあるが、少し長いのが特徴。資料がないので重量や口径がわからないのが残念です。 ただ、予測で恐縮ですが、重量は軽く口径も小さかったものと思われます。理由は瀬戸内海に面した地域の銃がそのような特徴を持っているものが多いからです。 【阿波筒】 徳島のあたり、四国の東側の地域で使用されていた銃。標準サイズより10センチ長い140前後の銃が多く、長い分だけ重量も少し重め。口径は小さいものが多いようです。 どうも瀬戸内海系の銃は長く、口径の小さい物が多い。理由は後述。 【日野筒】 国友と同じ滋賀県にある近江の国の銃。国友筒と似た特徴を備える銃で、差別化する理由はあまりないでしょう。似たようなもんだと思えば問題ないと思われます。 と、いうより火縄銃は広い地域に共通した特徴を備えていることが多いので、近隣地域では差が少ないのが特徴です。 【美濃筒】 信長を評価するマムシさんが頑張っていた地域の銃。国友系の特徴を備えたものもあるが、全部であるかは確認できず。 サイズは標準だが、やや重い。口径は通常サイズで長さはやや長めといったところでしょう。 【上浦の関流】 上杉家あたりでうろうろしていた関さんが作った流派の銃。異様に巨大な口径の銃を用いるのが特徴。そのサイズはもはや大砲なので、対人よりは攻城戦で力を発揮したことでしょう。 長さは短く、重く、口径は大きいといういかにもな大鉄砲で、1貫口径の銃の重さは80キロと、もはや冗談みたいな大きさを誇っています。 このように、日本には数多くの種類、火縄銃が存在していました。大名たちは地域ごとに特徴のある銃を用いながら合戦を戦い抜いていったのでしょう。 次に進む 前に戻る |