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モンゴル帝国 〜激動ユーラシア〜


今回は世界最大の英雄が活躍した時代と彼が築いた帝国の盛衰を解説しようと考えます。
まずは、恒例になっている時代データをば。



舞台:ユーラシア大陸と日本(冗談ではなく)

時代区分:中世

戦記タイプ:群雄割拠からの統一、既知世界の大征服

兵種関係:歩兵=補助兵科

騎兵=主力兵科

特記事項:群雄割拠からの統一もの、遊牧民族を主役に据えた戦記、世界史上稀に見る騎兵戦術、舞台が文字通り世界中

群雄割拠状態を統一した英雄が世界征服に乗り出し、その子孫たちに引き継がれた帝国が既知世界総人口の半分を支配するという異常事態の発生



世界中の戦記を比べても、もっとも壮大な規模で語られる戦記がチンギス・ハンに始まるモンゴル帝国の盛衰です。世界最大の英雄と言っても過言ではないチンギス・ハンの存在は、世界史の中でも群を抜いた存在でした。

彼の作った帝国は東は日本海から西は地中海まで達し、超サイズの世界帝国を築き上げることになります。その領土面積は世界で二番目の大きさであり、これを超えるのは飛び地をつなぎ合わせた大英帝国のみであり、地続きの国ではモンゴル帝国が最大のものでした。

モンゴル帝国は歴史にも多くの影響を与え、東西の文化交流を促し、一時的なイスラムの弱体化と西洋の興隆の切欠を作りました。歴史学にも影響を与えており、モンゴル以降は全ての地域において歴史資料が充実し始めるそうです。

それでは、見ていきましょう。



-----英雄生誕------

まだ、テムジンと呼ばれていた頃のチンギス・ハンが誕生した当時のモンゴルは、日本の戦国時代のように、民族単位で群雄割拠していました。歴史的に遊牧民によって苦しめられていた中華王朝は巨大な遊牧国家の登場を警戒し、遊牧民同士の争いを助長し、草原は混乱の中にあったのです。

そんな中で生まれたテムジンでしたが、最初は幸福のうちにいました。モンゴル部の弱小族長であった父親のおかげで弱小族長の跡継ぎという比較的幸運な位置にいたのです。

しかし、転落はすぐに訪れます。父親が毒殺されると、モンゴル部の有力者は離散。テムジンは家族以外の味方を失ってしまいます。この時代、テムジンは生涯最大の地獄を味わいます。

食うにさえ困る極貧生活を暮らすテムジンは、二人の母親と兄弟、異母兄弟と暮らしていました。ある日、異母兄弟に食料を奪われたテムジンは弟と共謀して異母兄弟を殺害します。草原の暮らしは、それほど死と隣り合わせだったのです。

ちなみに、伝説によると幼少時代、テムジンはジャジラト族のジャムカと盟友の誓いという、お互いの結びつきを強める誓いをした親友同士であったらしいです。このジャムカは、テムジンにとって最大のライバルとなる存在でした。



-----躍進の転機------

苦しい時代を超えたテムジンは、奥さんをもらったりしながらささやかに勢力を築き上げます。しかし、メルキト族の襲撃という悪夢が起こります。奥さんをはじめとする多くの人々・財産を略奪されたテムジンは族長として行動を開始します。

まず、行ったのが大勢力への従属と同盟でした。父と縁のあったケレイトのトオリル・ハンに従属し、その力を得ることに成功しました。さらにケレイトはジャジラトのジャムカと同盟。テムジンを救うという大義名分のもと、メルキト族との戦いがはじまります。

メルキトを打撃したテムジンはそれなりの勢力として帰り咲いたのですが、一つ問題を残しました。略奪された奥さんが妊娠していたのです。後に子どもが生まれるのですが、この子どもが自分の子かどうかわからず、テムジンは苦しむことになります。

しかし、モンゴル領はテムジンの卓越した統治から、移民が多くどんどん増えていきます。盟友であったジャムカですが、自分の領民がテムジンのところに流れていってしまうのに危機感を覚え始めます。

親友であり盟友であるとは言え、当時の草原は遊牧戦国時代。自勢力の弱体化を恐れたジャムカはタイチウト族と同盟し、テムジンを攻めます。名高い『十三翼の戦い』です。テムジンがそれなりの勢力を持った状態においてまともに土をつけられたのは、この戦いくらいのものでしょう。

勝利したジャムカでしたが、勝利した利益の配分の仕方に失敗し、部下から見放されます。捕虜を残酷に処刑しすぎて人心が離れたという説もあります。こうして、ジャムカは勝っておきながら勢力が伸び悩むことになります。

逆に、テムジンは人身掌握の達人であり、少しずつ勢力を回復させていきました。



-----同盟と対決------

この時、ケレイトでは内紛が起こっていました。この戦いに援軍として参加したテムジンはトオリル・ハンとの同盟に成功します。これにより、テムジンはジャムカと戦う力を手に入れました。ただし、その同盟は対等ではなく、テムジンの従属という形であったといいます。

タタル族、キヤト族、ナイマン族などを次々に血祭りに上げた連合軍は、ついにタイチウト族とジャジラト族のジャムカと決戦します。ここで、テムジンははじめてジャムカを破るにいたりました。

従属する強力勢力であるテムジンを配下におさめたケレイトのトオリル・ハンは草原最強の勢力となりました。これに対抗すべく、草原東方諸部族が反ケレイト・テムジン同盟を結びます。戦国時代で言うと織田・徳川同盟に対する信長包囲網をイメージしてもらえるとわかりやすいでしょう。

東方諸部族同盟は戦上手で知られるジャムカを名主に推戴し、テムジンたちに挑みます。しかし、テムジンはこれを見事に破ります。一度は同盟が崩れますが、メルキト・ナイマン・オイラトが同盟残党と組み、ケレイトを襲いますが、テムジンたちはこれを撃退成功。高原中央部の覇権が確立します。




-----逆襲のジャムカ、その最期------

しかし、ジャムカはこれで終わりません。高原中央部の覇権が決まったその頃、ケレイト有力武将であるテムジンとトオリル・ハンの息子であるイルカ・セングンが不仲になり始めました。戦国時代風に言うと、秀吉存命時に、家康と秀頼の仲が悪くなりはじめたとでも言ったところでしょうか。

無能な息子の将来を憂いたトオリルは、息子の将来のためにテムジンを排除する決意をします。そして、トオリルの傍らには、テムジンに復讐を誓うジャムカの姿がありました。

テムジンはトオリル・ジャムカ同盟の奇襲され、一度は逃れますが、再び草原に舞い戻り、これを撃破します。こうして、テムジンは下克上を果たし、草原最強勢力となるのでした。

しかし、ジャムカはまだ終わりません。西方最強国、ナイマンに逃れその客将となり、なおもテムジンに対抗します。しかし、ナイマンはあっさり破れ去ります。

ですが、ジャムカはまだ終わりません。いまだに勢力を残していたメルキトに逃げ込み、なおもテムジンに対抗します。

しかし、またしても破れ、逃亡中に部下に裏切られ、テムジンに引き渡されます。最終的にジャムカはテムジンにより処刑されます。こうして、草原はテムジンの手で戦国時代を終え、統一されたのでした。



-----モンゴル帝国・爆誕------

草原統一を果たしたテムジンはモンゴル帝国を建国し、チンギス・ハンを名乗ります。草原の強力な騎兵をその手中に収めたチンギス・ハンは、その強大な軍事力でもって周辺地域への大征服を開始します。

西方に存在していた西夏・天山ウイグル王国・中国北部国金朝、西遼、クチュルク、ホラズムを滅ぼし、超巨大勢力圏を築きあげます。この超巨大領土は普通の英雄では確立できないもので、それを一代でなしとげるだけでもすさまじいことです。

一代でこれだけの領土を広げた英雄は、世界史においても十人といないでしょう。多少スケールダウンして思い当たるのはアレクサンドロス・ティムール・ナポレオン・中華帝国の統一皇帝連中くらいでしょうか。

しかし、チンギス・ハンは他の英雄とはスケールが違います。チンギス・ハンは後継者の教育に成功した類稀な英雄でした。そして、それが彼を一代の戦争屋から世界最大の英雄へと引き上げるのです。



-----膨張するモンゴル帝国------

チンギス・ハンの子孫たちはその領土を膨張させていきました。東では中国を完全制覇し、北部朝鮮・北部東南アジアを制圧。西ではポーランドを蹂躙し、地中海周辺を征圧し、インド北部近隣の征服にまで成功しました。

圧倒的な力を誇るモンゴル帝国は、数々の敵を撃退しながら膨張を続けます。しかし、その帝国は一枚岩ではありませんでした。広すぎる領土を支配するのに単一の支配者には不可能で、支配領域をある程度分割する必要がありました。

さらに内乱騒ぎに発展し、熾烈な後継者戦争が勃発します。最終的にモンゴル帝国は中国を支配する元帝国のフビライを大ハンとして盟主と仰ぎ、他のハンたちとの緩やかな連合国となってしまいます。 徳川の日本支配のようなイメージですね。



-----反モンゴルの英雄------

モンゴル帝国はあまりに大きくなりすぎました。膨張は限界に達し、ようやく帝国に綻びが生じ始めます。そして、それはモンゴルに立ち向かう英雄たちの登場を意味するのでした。

エジプト・インド・ヴェトナム・日本。各地でモンゴルを相手に英雄たちが戦いました。敗れたモンゴルはその国領を減退させ、完全に四つに分裂。そして、それぞれが立ち枯れるように滅びていくことになるのです。


-----チンギス家の娘婿------

しかし、モンゴルは滅びません。モンゴルの血統を引継ぎ、モンゴル帝国の後継者を名乗る英雄が現れます。それが、ティムールです。ティムールはチャガタイ・ハン国帝室の親類を嫁を妻に迎え、モンゴル後継者の大義名分を得ました。

中東地域の貧乏貴族だったティムールはまさに風雲児で、中東を統一した上に超巨大領域を築き上げます。しかし、彼の死後、その帝国は弱体化し、崩壊します。



-----最後のモンゴル帝国------

最後のモンゴル帝国はティムールの息子であるバーブルによって建国されました。ティムールの死後に現れた巨大な敵に本拠地から駆逐されたバーブルはインドに南下し、そこに勢力圏を築きます。

この帝国は最終的にインド全域を支配するムガル帝国となります。ムガルとはインドにおけるモンゴルの発音なまりであり、ムガル帝国はインドにおけるモンゴル帝国を意味します。

最後のモンゴル帝国はイギリスの植民地になることで消滅し、ここにモンゴルが世界に与える影響力を持つ国は完全に消えうせました。



-----モンゴル時代の楽しみ方・勝者編------

さて、長きにわたる時代説明をお読みいただきお疲れさまでした。本題に入ります。この時代をいかに楽しむかが、このカテゴリーの本題です。

楽しみ方の第一は、王道であるチンギス・ハンの人生を楽しむ方法です。当時の群雄割拠した草原は、いうなれば日本の戦国時代の状態。このサイトに来るほどの方なら、群雄割拠系の時代がいかに面白いかがおわかりのことと思います。

さらに、チンギス・ハンにはジャムカというライバルがいるのも重要です。三国志が好きな方ならわかると思いますが、生涯のライバルの存在ほど戦記を熱くする要素は少ないです。

さらに、統一後も素晴らしいです。普通の英雄は統一して終わりですが、チンギス・ハンは違います。統一後も外征を繰り返し、超巨大勢力を築くに至ります。物語的に見れば統一までが一番面白いですが、軍事史的には統一後の活躍こそが素晴らしく、特にホラズム戦で見せた戦術機動はすさまじきものでした。

楽しみ方の第二は、モンゴル帝国に立ち向かった英雄たちに視線を向ける方法です。チンギス・ハンの存命時にモンゴルにドロを塗った英雄としては、ジャラールが歴史にその輝きを見せています。

全盛期のモンゴル帝国をまともな野戦でぶち破ったのは彼くらいなものです。ホラズム帝国の武将であった彼は国を失った後に、モンゴルを一度は退けました。後にインダス川の戦いで破られましたが、全盛期のモンゴルを破った彼は伝説となり、死後に偽者や後継者が湧き出ることになります。

次にモンゴルを破る英雄が登場するのは帝国が崩壊の兆しを見せた後です。西から紹介しますが、まずエジプトのバイバルスです。彼はアインジャルートの地において最強のモンゴル帝国を野戦という得意な地形でぶち破ります。

インドでは第二のアレキサンダーを名乗るインド統一王、ハルジーがモンゴルを幾度も撃退し続けました。インドがモンゴル系国家に制圧されるにはティムールの息子、バーブルの登場を待つ必要があります。

東に目を向けるとヴェトナムの陳興道が登場します。彼は巨大な川に鎖をかけてモンゴル水軍を迎撃、動きを拘束したところでモンゴル水軍に大打撃を与えます。

さらに東に目を向けると、南部朝鮮の三別抄に率いられた金通精が存在します。彼らは強大なモンゴル帝国の支配に対抗し続け、滅ぼされるまで戦い続けます。彼らの死は無駄ではありませんでした。盛んに日本にモンゴルの情報を与え続け、後の戦いに大きな影響を与えます。

最後に、極東の島国、日本です。二度の元寇に対し、鎌倉幕府の執権、北条時宗は断固とした態度で侵攻してくるモンゴル帝国を、真っ向から撃退します。さらに、この事件により揺らいだ北条の支配から始まる太平記の時代など、楽しむ要素に事欠かない素晴らしい時代だと言えます。



-----モンゴル時代の楽しみ方・同時代戦記編------

モンゴル時代は中世ど真ん中であるため、中世好きにはたまらない戦記が多方面で展開され、それがこの時代の面白さを盛り上げます。これらの時代は単独で見ても面白いのですが、モンゴルに絡ませることで地域戦史から世界戦史へと昇格するのです。

まず、東から目を向けてみましょう。チンギス同時代と言えば日本の源平合戦の時代です。この時代だけでもすさまじい人気がありますが、義経=チンギス説などもあるので、それらを踏まえた小説を読んだりなど、楽しみをいくらでも広げることができる可能性があります。

モンゴルとの接触を考えるなら元寇の時代も熱いですし、その後に起こる太平記時代、すなわち鎌倉幕府末期から南北朝時代の戦乱も単独で見ても十分に面白い時代と言えます。中世日本は面白い戦記に満ちた時代なので、この時代と同時代というのはそれだけで日本人の好みに合っていると言えるでしょう。

続いて中国。モンゴルに制圧されるだけのザコ勢力になりさがったため、三国時代などのきらびやかな時代に比べるとあまりにも劣悪な扱いです。しかし、この国はモンゴル帝国の主要部分である元帝国が存在していたため、面白い時代となる資格を有しています。

元朝末期に中国は群雄割拠状態に突入します。王朝が壊れると戦国時代に突入するのは中国の御家芸ですね。元に続く明朝の創設者である朱元璋は乞食出身という、皇帝になった男たちの中では過去最悪の身分からスタートします。境遇の悪さは秀吉以下という稀有な存在です。

元朝に対して起こった宗教反乱である紅布の乱に参加し、頭角を現した彼は瞬く間に一勢力の長となります。元朝は中国北部を占拠している状況の中、中国南部は朱元璋を筆頭に三国時代が到来していました。朱元璋は南部の三国を統一、その後に北部の元朝と対決し、これをモンゴル高原まで駆逐します。

中国の群雄割拠からの統一はどの時代でも面白いので非常に痛快な時代と言えるでしょう。朱元璋が漢の劉邦を真似たという事績から、古代中国を抑えているとさらに楽しめること請け合いです。

次に見るべきは中東です。チャガタイ・ハン国の崩壊と風雲児ティムールの登場。その死後もバーブルのインド遠征など、モンゴル最期の雄たけびもなかなか楽しめると思います。

さらに西に目を向けると中東・エジプト・地中海東岸方面。実はこの地域、チンギス時代以前からイスラム帝国のアッバース朝がいい感じに壊れかけており、イスラム諸侯による群雄割拠の戦国時代状態になっていました。もちろん、面白くないわけがない時代です。

しかし、大陸でこのような状況になると、突っ込んでくるのは外部勢力。イスラムを敵視するキリスト教徒が侵略を開始し、地中海最東岸は血みどろの地獄へと変じます、十字軍による侵略です。第一次はさすがにモンゴル時代から外れますが、もっとも有名な第三次はチンギス時代真っ只中であり、かの有名な獅子心王リチャードはチンギスと同世代の人間です。

そして、後半の十字軍は宗教を同じくするモンゴル諸帝国と手を組み、イスラム駆逐のための行動を起こします。これを撃破するのが奴隷から成りあがったマムルーク朝の君主、隻眼のバイバルスです。彼の勝利がイスラム圏のみならず、キリスト圏さえも救うというのはちょっとした皮肉とも言えます。

最後にヨーロッパ。実のところ、中世のヨーロッパというのはヨーロッパが一番クソだった時代なので、イメージに反し面白い時代ではありません。せいぜい、十字軍を出撃させたとか、リチャードのパパが大きめの帝国を築いたとかその程度です。

しかし、チンギス以後になると英仏百年戦争が勃発。ティムールの時代あたりだと黒太子などの英雄の時代に該当し、バーブルの時代あたりだとジャンヌ・ダルクなども登場するので徐々に微妙な時代から脱し始めます。

さらに、ティムールあたりの時代になると世界で初めて鉄砲がまともに運用され、重騎兵である騎士を歩兵が撃滅する戦史を残すフス戦争が引き起こされ、ヤン・ジェシカという天才傭兵隊長が軍事史に不朽の名を残すなどの面白事件が発生します。

このように、モンゴル時代は自身のみならずその周辺地域との関わりもあるために広大な視点でユーラシアを楽しむことができるようになります。この時代に匹敵する世界規模の戦記と言えば残りは第二次世界大戦くらいしかないので、いかに稀有な時代かがわかろうというものでしょう。



-----この時代を最大限に楽しめるゲーム------

さて、モンゴルの時代をここまで強調し続けたのにはわけがあります。実は、この時代の英雄を操作して世界征服を行うというゲームの存在が、これらの説明を必要としたのです。ゲームのタイトルは、 チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿 4。テムジンがチンギスを名乗る1,206年からモンゴル最後の風雲児であるティムールの時代までを描いた超傑作ゲームです。

このゲームは、東は日本から西はイギリス、北はロシアから南はインドまでと、ユーラシア・スケールで楽しめる歴史ゲームであり、文化圏ごとに侍や蒙古騎兵、騎士や象兵などの舞台を編成でき、地域の差や文化の違いなどを楽しみながらプレイすることができます。

そのため、同時代にどんな国と英雄が存在したかが非常に重要であり、まさにユーラシア規模で世界史を楽しめる時代と言えるでしょう。そして、この時代を楽しめる数少ないゲームの中で、特に評価が高いのがこのゲームです。

とりあえずモンゴルとかよくわからないという人は源平合戦時代の日本から始めればいいと思います。この頃の日本は平家がとっくに滅んでいて義経が平泉に亡命したころですので、頼朝か義経でプレイするといいでしょう。

唯一このゲームに文句があるとすれば、清盛存命時からプレイしたかったということくらいでしょうか。木曽義仲で世界征服できないというのが残念でなりませんでした。




〜モンゴル帝国の時代を軍事的に見てみる〜

モンゴル帝国の時代を一言であらわずとすれば、中世です。中世とは騎兵が主力の時代であり、歩兵の価値が異様なまでに低下していた時代でした。

西を見れば、歩兵主体のローマ帝国がゲルマン民族の騎兵に蹂躙され、騎兵中心編成でない部隊は時代遅れとなりました。ローマ崩壊からビザンツ崩壊までを中世と区分する見方は未だに根強いのではないでしょうか。

さて、チンギス・ハンの時代はどこをどう見ても中世です。そのため、騎兵の天下とされる時代であり、最強の騎兵部隊を擁する遊牧国家は農耕国家に対して圧倒的なアドバンテージを有していました。モンゴル高原と呼ばれる遊牧民族揺籃の地において、数々の遊牧国家が成立し、滅びていきました。

南に目を移した時、遊牧国家の農耕国家の圧倒的さは明らかです。古代中国においては遊牧民に対し従属し続け、時に反撃さえできた中華農耕国家でしたが、中世になってその傾向は変化します。三国時代以降、農耕国家は常に遊牧国家の風下に存在し続けました。

三国を統一した晋の滅亡後、中国の王朝は北からやってきた遊牧国家が南の王朝を滅ぼし、土着して中国化した後、北の遊牧国家に滅ぼされるか南下するかを繰り返します。たまに中国が統一される際も、匈奴系の血統を引きつぐ連中の王朝である唐とか、まぁひどい有様です。

チンギス時代も北部は遊牧系王朝の金に支配されていて、漢人国家の南宋は中国南部のみとか、騎兵弱小国家に未来がないのが中世でした。それでは、ゆっくりと軍事的に当時の軍隊を見ていきましょう。

まず、騎兵です。古代から存在した騎兵でしたが、その戦闘能力は微妙でした。安定しない馬の上で、股をしめることで馬にしがみついていた当時の騎兵は馬上で安定できないため、接近戦を不得手とします。

当時の騎兵は弓を放つ弓騎兵であるのが一般的でした。突撃も可能ですが、槍が刺さる瞬間に手を離すとか、体勢が崩れにくい刀を振り回すとか、どうしても工夫が必要でした。

しかし、鐙の登場がすべてを変えます。足を踏ん張らせることができるので、馬上での安定性が向上し、突撃による接近戦こそが戦場の華となります。これ以後、騎兵の突撃力は戦場を塗り替え、歩兵の時代を終わらせます。槍を構えた騎兵の突撃は、簡単に歩兵の陣形を崩してしまったからです。

圧倒的な機動力、馬の体重と速度で行われる突撃、歩兵の体力では纏えない重装甲など、騎兵はコストこそかかるものの、その戦闘能力は異様の一言でした。

ただし、馬の飼育にかかる値段はすさまじく高く、騎兵は非常に効果という弱点がありました。さらに、馬に乗るという行為は高等技術であり、現代で言うと戦車や戦闘機を操縦するのに匹敵する難易度があると言えるでしょう。

ところが、この弱点を気にしない連中がいました、遊牧民族です。日常的に馬に乗る彼らは徒歩で歩くよりも馬に乗る時間の方が長く、馬に乗ったまま弓を引き、狩りをするという日常生活がそのまま軍事訓練に直結しました。

さらに、厳しすぎる環境で生きる彼らは剽悍な戦士であり、時折農耕国家の英雄が遊牧民族を率いて大暴れすると、他の英雄は対抗できないなどザラにおこりました。三国時代の曹操が率いた烏丸騎兵とかが有名ですね。

遊牧民族は騎兵と言う大切な部隊において農耕国家を超越しています。そのため、野戦においては無敵でしたが、城を攻めたりなどは苦手であり、科学力で劣るためにどうしても決定打に欠け続けました。

しかし、チンギス・ハンの時代に大変革が起こります。チンギス率いるモンゴル帝国は強力な騎兵を抱えながら周囲の国の技術を貪欲に吸収していきます。そして、現地の歩兵を徴兵することで野戦以外でも抜群の実力を示し、最新兵器である火薬兵器も活用して次々に城を攻め落とし、支配領域を広げていきました。

この当時のモンゴルは非常に柔軟に軍隊を整えて戦います。野戦を中心に戦う場合は全軍を騎兵のみにし、一日に平気で二十キロ以上の距離を踏破しました。一人の兵士が八頭の馬を持ち、それを乗り換えながら進むので馬の疲労を最小限に高速機動をし続けることが可能です。

さらに、馬は食糧にもなり、その骨や皮は武器や防具の材料となるために、一切の無駄がありません。そのため、馬の食糧が確保できる草原なら、モンゴル帝国はいくらでも遠くまで機動することができるのです。

山岳地帯周辺で戦闘する際は、モンゴル軍は面白い戦術を見せました。山と川の間の平地での戦闘中、モンゴル軍は騎兵の一部を下馬させ、山岳地帯を迂回、敵を側面攻撃することで勝利を得ます。城攻めには積極的に歩兵を用いるなど、決して騎兵のみに特化した勢力でないのも素晴らしいところです。

このような総合的な強さこそが、モンゴルのすさまじさなのでしょう。



〜モンゴル兵たちの武装〜

遊牧国家は基本的にオアシス都市などを配下にしているので、決して金属などの兵器を持っていないわけではありませんでしたが、だからと言って常に恵まれた武装というわけでもありません。

貧乏な遊牧国家は金属をそろえられないために、武器は主に骨を矢じりにした弓でした。弓は木と動物の皮や筋などを利用するので自然界から回収でき、骨はそれなりの固さを持っているので矢の材料となります。威力の不足は矢に毒を塗ることで補えます。

動物の皮をなめして作った服装はそれだけである程度の防御力があります。皮をつなぎ合わせた皮鎧は軽量で矢に強く、機動力を重視する遊牧民向けであると言えたでしょう。

鉄が豊富になった後でも、軽装を好むモンゴル騎兵は防御面においてはあまり重視していなかったようです。もちろん、格闘戦を強いられる重騎兵は鉄で全身を装備してはいましたが。

このように、モンゴル兵は解体した家畜やそこらの木材を用いることで、簡単に軍備を養うことができました。彼らにとって最大の武器は機動力の根幹である馬であり、そしてその馬は同時に武器や防具の調達源でもあったのです。

金属を手に入れた後は、鎖帷子やラメール・アーマーなど、多彩な装備を見せます。前者は西側の、後者は東側の影響でしょう。彼らの鎧の胸の部分は円形の鉄板が存在する傾向があり、これは中華王朝の鎧の構造によく似ています。

機動力が落ちるため馬鎧は少ないようですが、これはやはり速度を重視したからでしょう。

特筆すべきは、当時の最新兵器である火器を積極運用したことであり、この火砲の威力が彼らの征服に貢献したことは間違いないでしょう。ただ、この頃は火器の黎明期であり、現代で思われるほどの威力はないでしょうが、それでも爆音などの効果はすさまじいものであったと考えられます。

モンゴル帝国は木・骨・皮といった劣悪な素材から鉄・火薬といった高級素材まですべてを使い尽くし、場面に応じて部隊を編成し、戦い続けました。

遊牧国家による農耕国家に対する優位が薄れるのは火薬の力を生かしきれる火縄銃の登場以降であり、それまで最大の力を持っていた騎兵は世界の地図を塗り替える力を発揮し続けたのでした。

ちなみに、火薬兵器を最も巧みに熱かったのは西洋諸国であり、それが彼らの興隆を後押しする結果になりました。

逆に東側や南では劣悪であり、火薬兵器を存分に生かせなかった明帝国は時代遅れの遊牧国家である後金に征服され清王朝が成立し、インドでは火器を積極的に用いるバーブルとその子孫によって全土を支配されます。

こうして、陸と馬の時代は海と火薬の時代へと変遷していきます。モンゴルは陸と馬の時代を象徴する、最後の輝きとして今も世界史と軍事史に燦然たる輝きを放っているのでした。







では、最後にマンガや小説等を紹介させていただきます。


〜チンギス・ハン関連作品〜





横山光輝先生の描くチンギス・ハンのマンガ。チンギスの生涯を巧みに描き切っており、特にライバルであるジャムカとの関係や、反逆の末に駆逐した元・従属相手であるトオリルなどとの関係を丁寧に描いているのが印象的。

ただ、チンギス系の作品のおきまりとしてその死後を描かないのが少しだけ残念。まぁ、描き始めたらいつまでも終わらないので、それはそれで仕方がないんですけどね。






管理人の大好きな堺屋太一さんのチンギス・ハン小説。チンギス・ハンの生涯を描いた作品であり、その教訓を強調しているのが特徴。秀吉、秀長など戦国小説でも素晴らしいものを著した作家さんだけに、期待して読んでもらいたい三冊です。



チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿 4 (説明扉付きスリムパッケージ版)

上のページで説明済みの、モンゴル時代を描いたゲームの最高傑作。入手が難しくなりはじめているので、チャンスがあったら即時購入が基本姿勢と言ってよいでしょう。






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