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御貸具足


歩兵の大動員が本格化するのは戦国の世になってからであり、この時期には今まで以上に雑兵の装具を用意する必要が生じました。この時代に登場した、足軽たちの主装備が御貸具足と呼ばれる鎧です。

御貸具足

『御貸具足』とは足軽を動員した大名たちが、部下たちが高い戦闘能力を持てるようにと足軽たちに貸し出した鎧であるために『御貸具足』と呼ばれ、足軽たちからは逆に『御借具足』と呼ばれたそうです。

兵士がそれぞれに自分の武装を用意するのではなく、主人がそれを用意することによって生まれるのは装備の均一化と戦闘能力の向上です。統一された武具を集団で使うことによって戦場での戦闘能力は高まり、逆に金がないから装備が脆弱で役に立たない人間の数を減らすことに成功します。

旧式の腹当と比べ、背中や腰の辺りなどと防御面積が大きく広がり、防御力が格段に上昇しているのが見て取れます。御貸具足が今までの鎧と違うのはそれだけでなく、製作方法からして大きく違いました。板札と呼ばれる横長で大きめの鉄板を用いる技術が御貸具足を生み出しました。

弓や鉄砲による攻撃に対し、子札で作られた鎧は、着心地はよくても防御力の点で劣っています。それに対し、板札で作られた鎧は滑らかで攻撃を受け流すことが比較的容易であり、一枚板であるために防御力も高かったのです。その上、製作に必要な金属も少なくて済む上に、つなぎ合わせたり鋲止めしたりする箇所が少なくて済むために作る手間も大きく減ります。

この『板札』という新技術のために足軽の装備は、より強固で軽く、大量生産に向いた御貸具足が主流となっていきます。とは言え、所詮は足軽用の防具であるために装甲は薄いです。私の知っている御貸具足は鉄板は一ミリ程度の厚さであり、紙や革で補強されている程度のものと聞いています。

戦国の投石部隊


これが火縄銃の威力実験に使われたのですが、五十メートルの距離で射撃されたのにもかかわらず、余裕で貫通する有様です。雑兵の脆弱な鎧で鉄砲が防げるわけもないのでしょう。雑兵物語などでは、鉄砲は当たったら死ぬものと思えと言われているのは決して誇張ではないということです。

戦国時代に大活躍した御貸具足ですが、後半になって火縄銃が戦いの中心を担うようになると、銃弾を防げない御貸具足の価値は激減します。一部の名将(立花宗茂など)は、部下の鉄砲足軽から御貸具足を没収し、兜だけをかぶせて戦うなどという光景も見られたほどでした。

それでも敵味方に弓や槍が存在する間は御貸具足は使用され続け、幕末でもその姿を見かけることは可能だったそうです。二百年近く戦争がなく、歩兵が鎧を捨てる時期を欧米のように体験できなかったことが原因と考えられます。


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