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小早


戦国時代に使われていた舟は大きさで三分されており、大型のものを安宅船、中型のものを関船、そして小型のものを小早と呼びました。名前の意味は小型の早舟(関船)です。駆逐艦に相当する速度を重視した小型の船で、艪の数は40以下、足を隠す程度の装甲しかないために戦闘力は乏しかったようです。

小早

小早は、その機動力を活かした任務を主としてこなしました。偵察や迂回機動、小ささを活かした隠密行動に、小早はもってこいでした。非常にすばらしい性能の船でしたが、無敵ではありませんでした。

基本的に海戦というのは小型の船が大型の船に勝つことが難しいです。大きければより多くの兵士を乗せられますし、大きければ上から下へと一方的な攻撃が可能です。弓戦の場合も、同じ時間で発射する矢の数に差が出ます。大きいことはいい事です。

乗り込み戦闘においても巨大な船は有利でしたが、戦いが砲撃主体になっても巨大な船は有利でした。一つの船に乗せられる大砲の数が増えるためです。そのため、基本的に小型船は弱小な存在として捉えられています。

しかし、機動力の高さと数の多さは独特の戦法を生み出します。小早は複数で群れを作り、敵の巨大船を取り囲む戦術で大型線に対抗します。鉄砲や焙烙などの手段で船体や乗組員を攻撃します。

単独ではやられますが、敵の船がこちらの大型船に気を取られていれば問題ありません。この戦術は非常に有効で、朝鮮史上最大級の英雄である李舜臣でさえ、島津の小型船戦術によってその命を狩り取られているほどです。

さて、日本の船にはある特徴がありました。それは同時期の他国の船に比べて軽量で機動力が高く、そして脆弱であるという点です。船の先端をぶつけて敵の船に穴を開けるという海戦における選択肢を持たないのも特徴でした。

西洋の船などは先端に取り付けた衝角を利用して敵の横っ腹に船をぶつけて敵の船に穴を開けて浸水させたりなどで船を沈めました。しかし、日本の船は構造的に衝角を持ちません。これは船のぶつけ合いにおいて弱体であることを意味しました。

日本においては、大砲の登場まで船を沈める手段が放火ぐらいしかありませんでした。海戦で敵を制圧するには乗員による乗り込み攻撃が必要だったため、船の大きさはさらに重要とされたでしょう。

日本の船の持つこれらの特徴は、モノコックと呼ばれる構造から来ています。外番自体を強度部材として用いるモノコック構造は、飛行機などにも利用される優れた構造です。軽量、頑丈が約束されます。

しかし、船は水の上に浮かぶので多少重くしても大丈夫でした。そのため、他国の船は丈夫さを重視した構造をしており、速度を犠牲にして戦闘力を高めました。

戦国日本軍は世界において三流の艦隊を持っていましたが、強敵である朝鮮水軍の船をマネし、強力な艦隊を保有するようになります。

とはいえ、機動力はやはり重要であり、小早はそのまま使われ続けたそうです。軽量な日本の船の利点は、小型船でこそ生きたのだと思います。



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