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伊達家の戦闘教義


武田信玄に匹敵する人気を誇る伊達政宗は、大河ドラマにおいても最高の視聴率をたたき出し、未だにそれが破られていないほどの人気戦国大名です。では、伊達家戦闘教義、戦術と軍隊を見てみましょう。


『戦術面』
少数迂回

『軍隊面』
騎馬鉄砲隊



貿易に不利で旧式を余儀なくされる東北の田舎大名ですが、仙台港を武器に貿易を盛んに行い最新兵器を充実させることで戦国大名の中でも高い鉄砲装備比率を誇るようになり、その軍の強さはすさまじきものです。伊達家独特の戦術も持ち合わせるため、非常に強力な戦国大名でした。では、見ていきましょう。


------------東北の田舎大名------------

鉄砲の量が勝負を決める戦国時代において、九州から遠くにいることはそれだけで不利なことでした。戦国時代の序盤は火薬を自力で生み出す技術が確立しておらず、火薬に必要な硝石は貿易でしか得られませんでした。

後に、硝石は便所の土から作れるようになり、火薬供給量の地域格差はなくなるのですが、それまでに戦国武将同士で大きな勢力の差が生まれてしまいました。

鉄砲の伝来が遅く、火薬の自給が難しかった東北は鉄砲と言う新兵器による地域統合が大きく遅れました。結果、日本の多くの地域で大勢力が生まれる中、東北地方ではザコどもの小競り合いが日常茶飯事になります。

その中で、気を吐いていたのが伊達家でした。特に政宗の代になると伊達氏は一気に勢力を拡張し、東北最大級の大名となります。しかし、その活躍はあまりにも遅く、ちょうど秀吉の天下統一と重なってしまいました。

しかし、その後も政宗はあきらめません。秀吉との同盟で出来たコネを最大限に活用し、貿易港を利用して大量の兵器を輸入し、大量の鉄砲を保有する強力な軍事力を誇る戦国大名へと成長したのでした。



------------小部隊による迂回機動------------

正直、人取り橋と摺上原以外で伊達氏の有名な戦いはありません。そのため、伊達氏による戦闘教義の考察は結構難しいのですが、摺上原において伊達氏が見せた戦術機動に面白いものがあったので取り上げます。

芦名氏との戦いに決着をつけるべく、伊達政宗は二万近い軍勢を出撃させました。芦名方は伊達氏よりわずかに兵力が少なかったのですが、伊達氏を追い詰める戦いぶりを見せます。

それを手助けしたのは風でした。芦名の後ろから吹く風は芦名の突撃を助け、矢を加速させます。対し、伊達軍は射た矢が風で曲がり、鉄砲の弾はそれ、向かい風に向かって進むために動きが遅くなります。

戦いを決定付けたのは風向きの変化でした。追い風を受けた伊達氏は一気に形勢を逆転。数の利を活かして勝利をもぎとります。

この時、風向き以外にも勝利を助けた行為があります。それは、不利な戦いの最中、政宗が放った別働隊でした。別働隊は芦名軍の後ろを大きく回りこみ、その後方に存在した橋を焼き払います。

退路をふさがれたことで、全軍に動揺が走ります。さらに、風向きまで変わりました。士気を打撃された芦名軍は崩壊。川を渡ろうとして溺れ死んだ兵は少なくなかったと聞きます。



------------竜騎兵・騎馬鉄砲隊------------

伊達政宗の部隊の中でもっとも有名なのが騎馬鉄砲隊です。人間の体重と筋力を余裕で凌駕する馬。人間の筋力で引き起こせない衝撃を生み出す火薬を用いる鉄砲。これを組み合わせえたのです。鉄砲と騎兵がそなわり最強に見えます。

しかし、馬上で疾走しながら鉄砲を使うのは至難の技でした。弓で出来たことが鉄砲では出来なかったのです。西欧ではこれをごり押しして使用し、カラコールと呼ばれる大失敗戦術を使用し続けます。

対し、西欧の騎馬鉄砲隊でまともな連中もいました。いわゆる竜騎兵と呼ばれる部隊です。騎馬をあくまで移動用と割り切り、鉄砲射撃時は下馬して射撃します。結果、竜騎兵は高い機動力と銃兵の高い攻撃力を併せ持つことになりました。当時最強の騎兵部隊と言えるでしょう。

一方、日本は西欧と違い大失敗はしませんでした。要は走りながら射撃すると命中率が下がるのであって、騎馬と鉄砲の組み合わせが悪いわけではありません。

そこで、日本の騎馬鉄砲隊は射撃方法を工夫しました。馬による高速機動を行い、射撃時は停止して馬上から射撃という形式を整えたのです。もちろん、問題はあります。普通、馬上では装填が難しいために銃は短くなり、短い銃は射程が短いのです。

だからこそ、西欧の騎馬隊は走りながら短い銃で近距離から射撃するか、長い歩兵銃を持った騎馬隊を射撃時に下馬させたのです。しかし、日本に常識は通用しません。騎兵運用に際しても弓騎兵は軽装、槍騎兵は重装という世界常識を無視し、重装弓騎兵を好んで運用したほどです。

騎馬鉄砲隊は、長い歩兵向けの火縄銃を使用しました。射程は落ちません。ただし、発射速度は異常なまでに低下します。しかし、問題はありません。騎馬鉄砲隊はあくまでヒット・アンド・アウェイを行う一撃離脱戦術を用います。

そして、突撃が必要になったときは突撃騎兵の周辺にたむろし、まず敵に銃撃を加えます。そして、銃撃を終えると退避。そこに突撃騎馬隊が突っ込みます。

このように、日本の竜騎兵は西欧と同じ過ちを犯すことはありませんでした。下馬する竜騎兵とは、どちらが有能かは評価のわかれるところなので、それぞれが勝手に答えを出してくれればいいと思います。



------------伊達家戦闘教義の総括------------

貿易の不利な東北でありながら、大量の鉄砲を保有し、軍隊の強化に努めた伊達軍は間違いなく東北最強勢力の一角と言えるでしょう。

独特な騎馬鉄砲隊を編制するあたりも先見の明が有り、その戦闘教義は非常に優れたものであったと考えられます。



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