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アレクサンドロス戦記 〜激動、ギリシア三国志〜


さて、ずいぶんお久しぶりですが、今回はアレクサンドロス関連の話をしたいと思います。 まずは、恒例になっている時代データをば。



舞台:ギリシア、エジプト、中東、中央アジア、インド

時代区分:古代
戦記タイプ:群雄割拠からの統一、崩壊から外部勢力による統一

兵種関係:歩兵=主力兵科 騎兵=補助兵科 象兵=超絶新兵器

特記事項:西洋史における数少ない群雄割拠統一もの、後継者戦争、
       戦闘教義発明と劣化→新戦術への屈服、世界史で最も戦象が活躍した時代



西洋史において特に眩い閃光を放つアレクサンドロス大王が登場したのは紀元前300年より結構前のことです。 当時のギリシャは群雄割拠の戦国時代であり、隣に巨大なペルシア帝国が存在しているのに小競り合いを繰り返すアホたちが血で血を洗う戦乱を巻き起こしていました。

歴史に詳しい方のために有名な例を出すなら、中国が始皇帝に統一されるまでの春秋戦国時代と似たような状況になっているわけですね。 結果も似たような感じに落ち着くのですが、途中まで限定で同じであり、そこから先が違うので注意しながら読んでいってください。

中国の春秋戦国時代のようにギリシアでも、抜きんでた勢力が時代が経つごとに代わっていきました。まず最初にギリシアを制したのは海洋国家アテネでした。ヒマさえあれば侵略を開始するペルシア帝国に対し、アテネは主導的な立場で対抗し、ギリシア全土の危機を救います。

しかし、富と名声を得たことでアテネは堕落します。 最終的にアテネはスパルタに敗れ、最強の地位を失います。 海戦を得意とするアテネと対照的に、スパルタは陸戦を得意としました。スパルタの兵士と言えばギリシアでも最強であり、その実力でギリシアの盟主となります。

が、富を得たことで今度はスパルタも堕落します。そこで勃興したのはテーバイでした。名将エパミノンダスを得たテーバイは斜線陣と呼ばれる新戦術の開発で優勢なスパルタ軍を撃破、ギリシア最強になります。

さて、ここまでパターンが続きましたが、ここで堕落パターンは停止します。テーバイもお約束通り最強の地位を失うのですが、失う方法が変わります。ギリシア最強のテーバイが落ちぶれたのは、他国がさらに強力な戦闘方法、戦闘教義を開発したことにあります。

そして、それを作り上げたのはマケドニアでした。

幼少時、テーバイに人質として送られたマケドニア王子フィリッポス二世はテーバイにて暮らす間に戦闘教義をコピー、それをさらに発展させてギリシア最強の軍隊を構築します。当時最強のテーバイ、スパルタ連合軍を平地で破り、見事にギリシアを同盟統一します。

(武力による全土の統一ではなく、すべての国の盟主になる場合を同盟統一として扱います。徳川家康が大小合わせて300の国の盟主となり日本を統一したような感じ。完全統一は明治維新における新政府の日本統一のように他勢力を含まない完全な統一を指す)

管理人は古代に登場する巨大勢力を生み出した風雲児として、始皇帝とこのフィリッポスを近い存在として捉えています。違いは彼らの後継者です。始皇帝の後継者は国を滅ぼし、新たな内乱の火種になりましたが、フィリッポスの息子はそれとは正反対の道を行きます。

さて、古代西洋史においてギリシア統一という最強クラスの武勲を誇るフィリッポス二世ですが、悲しいことにマイナー人物です。なぜか? 理由は簡単、彼の息子が異常なまでに有名人だからです。

フィリッポス二世には息子がいました、その名はアレクサンドロス三世。ギリシアを統一したフィリッポスが死んだ後、アレクサンドロスは崩壊したギリシア連合を実力で再統一し、マケドニアを主体とするギリシア連合軍を率いてペルシア帝国にケンカを売ります。

当時の世界最大帝国、ペルシアをマケドニアはいともあっさりと撃破します。ペルシアを併合したアレクサンドロス大王はさらに東を目指し、インドのあたりまで到達します。

しかし、さらに進もうとする大王でしたが、部下はそれを拒否。仕方なしにアレクサンドロスはインドの入口を征服しただけで本国帰還を試みます。

ギリシア、エジプト、中東、中央アジアの一部、インドの一部にまたがる大帝国を築いたアレクサンドロス大王でしたが、バビロンにて突然死してしまいます。日本史で例えるなら本能寺の変で織田信長が横死するのに匹敵、いや、それ以上の衝撃が走ります。

なぜなら信長以上の領地を持つ国を保持しながら、大王は後継者を残さずに死んでしまったからです。

ここから血で血を洗う群雄割拠の後継者戦争がはじまります。信長の後継者戦争のように、血縁者ではなく大王配下の有力な将軍が兵力や領地を握り、大王の後継者となるべく戦争をおっぱじめるのです。

この後継者たちには魅力的な英雄が多いです。とりあえず紹介してみましょう。



アンティゴノス:最強の力を持った後継者、戦国時代での秀吉ポジション。

セレウコス:戦国時代での家康ポジ、最大領域国家を作り上げた後継者。

プトレマイオス:エジプトを支配した後継者、防御が得意な北条氏康ポジ。

アンティパトロス:最終的にマケドニアを支配する一族を生む後継者。

リュシマコス:宮廷道化師の息子、後継者一の成り上がり。劣化秀吉ポジ。

エウメネス:後継者唯一の非マケドニア人、ギリシア人将軍。ヨースケン的ポジ?

ピュロス:ハンニバルが過大評価する男。伊達正宗ポジ。

チャンドラグプタ:インド初の統一王、清帝国のヌルハチ的ポジション。



まぁ、こんなところでしょうか。細かくいけばもっといますが、この程度で十分でしょう。アレクサンドロス大王の死後、これらの後継者将軍は自分たちの力を拡大するために戦いを続けます。
中でも最強の後継者としてその名を轟かせたのがアンティゴノスでした。

『独眼のアンティゴノス』と呼ばれたこの名将は卓越した政治力と戦闘能力で他の後継者を引き離した存在となり、クラテロスというマケドニアにおいても最強クラスの将軍を戦死させた名将、エウメネスさえも打ち破ります。

他の後継者は、もはや同盟する以外にアンティゴノスを駆逐する方法はありませんでした。

さて、強者に対して弱者が展開する外交的包囲網ですが、東洋においては英雄が外交包囲網を突破することは珍しくもありませんが、西洋では包囲網を突破できずに終わる展開が多いです。そして、今回もそうでした。

アンティゴノスの不幸は、卓越した戦略能力を持つセレウコスを敵に回したことでした。セレウコスはインド初の統一王であるチャンドラグプタに対し、統治の難しいインドの土地を割譲する代わりに500の戦象を手にするのです。

リュシマコスと同盟したセレウコスは戦場においてアンティゴノスの部隊を、五倍という圧倒的な数の戦象で中央突破、孤立したアンティゴノスを敗死させます。

その後、一緒に戦ったリュシマコスを駆逐し、アンティゴノスはアレクサンドロスの後継者として王手をかけます。しかし、直後に暗殺されて後継者戦争は終わりを告げます。

結果としてアレクサンドロスの築いた大帝国はバラバラになります。ギリシア最強勢力であるマケドニアはカッサンドロス朝マケドニア(後にアンティゴノス朝マケドニア)になり代わり、ペルシア帝国の一部だったエジプトはプトレマイオス朝エジプト、エジプトを除いたペルシア帝国の領土はセレウコス朝シリアに変わりました。

これらのギリシア系諸国をヘレニズム国家と言います。管理人はこの三国が抗争を繰り返すこの時代を、あえてギリシア三国志と呼んでいます。ちなみにマケドニア帝国の最後の一部、インドのあたりは言及した通り、マウリア朝インドの領域に収まっています。

強力な力を誇るヘレニズム国家ですが、その末路は哀れでした。西にて勃興した巨大勢力であるローマに飲み込まれ、シリアは遊牧民族国家パルティアに飲み込まれます。

他勢力に飲み込まれて終わるあたりも中国の三国時代に近いあたり、哀愁ただようところであります。



〜アレクサンドロスの時代を軍事的に見てみる〜

アレクサンドロスの時代は後継者戦争を含めて、非常に軍事的変遷の激しい時代です。まず、当時は歩兵が主力であったことを念頭に置いておいてください。

鐙のない時代、騎兵はその力が弱く密集した歩兵を撃破する力が非常に弱い状況でした。結果、騎兵主体国家のペルシアは歩兵主体国家のギリシアを制圧できませんでした。

しかも、ペルシアは歩兵が弱く、主力歩兵は優秀なギリシア人傭兵という始末でした。マケドニアと戦った時代も歩兵はギリシア人傭兵が主力であり、ギリシアのために戦うというお題目を掲げるアレクサンドロスをキレさせていました。

さて、当時は鐙無しで馬を操る必要があったために遊牧民族以外で騎兵を使いこなすことは難しく、それをお家芸にするペルシアでも歩兵主体のギリシアを倒せませんでした。

ちなみにこの時代、農耕国家において騎兵は金持ちの貴族以外なれるものではなく、ギリシア国家における騎兵は少数でした。生活に余裕のある貴族以外は騎乗訓練がろくに出来ず、鐙がないので必要となる練習時間は膨大なものであることがその傾向に拍車をかけました。

騎兵の弱いギリシア、歩兵の弱いペルシア。そんな中、ギリシア風の国でありながら遊牧民族の生活領域に接触するマケドニアが存在していました。

山地の多いギリシアと違い、騎兵という存在に近しい彼らはやがて騎兵と歩兵を効率的に操る最強の軍隊を作り上げます。

当時の騎兵は鐙がないために突撃力が不十分でした。そのため歩兵に比べて決定的打撃を与える戦力としては不足するものと考えられていましたが、これを打開したのがフィリッポス二世です。

決定戦力である歩兵を防御役にし、歩兵の弱点である側面や背面に高速機動できる騎兵を攻撃役にしたのです。

これが有効な戦術であると証明したのが、カイロネイアの戦いでした。歩兵で敵の動きを拘束しながら騎兵を側面、後方に機動させて弱点を突くことにより、騎兵の突撃で歩兵を撃破してみせたのです。

異なる兵科を組み合わせた有機的な戦闘、コンバインドアームズと呼ばれる戦術思想により、マケドニアは当時最強の力を誇りました。実の所、アレクサンドロスは軍事革命を一つも起していません。父の残した強大な軍隊を有効活用しただけなんですね。

そんな中、一石を投じる兵器が登場します、戦象です。馬を超える巨体と体重を持つ象は陸上最大の生物であり、これが戦闘に投入されることは当然の帰結と言えるでしょう。

暴走しやすい・調教が難しい・獲得可能地域が限定される、などの弱点を持つこの戦象は、西洋史に登場してから300年近くその力を見せつけますが、最終的に西洋においては弱点が目立ちすぎた上に、弱点を研究されすぎて消滅します。

しかし、この時代は登場したばかりである戦象の研究はされ尽くしていません。そのため、まともに戦史の残る時代において、最も戦象が戦争に使用された時代が後継者戦争と呼ばれる時代でした。

後継者戦争の戦いはこの新兵器である戦象が左右し、その存在は戦国時代における鉄砲に近いものがあったでしょう。後継者戦争における最大の戦いは戦象が勝因を作り、最強の後継者であるアンティゴノスを敗北させたことを忘れてはいけません。

最終的にはヘレニズム国家はローマに駆逐されますが、それはローマが作り出した優れた戦闘教義が原因となりました。それまでのヘレニズム国家では戦象が戦闘を左右し、セレウコスの死以降も戦象が勝負を決め続けたのでした。


総括すると、この時代は以下の軍事的変遷を遂げたこととなります。


歩兵が騎兵に対して有効に機能する、フィリッポス二世以前の時代

騎兵の機動力が、歩兵を主力とした戦いの流れを決定づけた、アレクサンドロスの時代

象兵が勝敗を分ける、後継者戦争の時代

象兵ではなく歩兵が決着を決める、ローマによるヘレニズム国家征服の時代






陣形 〜三種類の戦闘陣形と斜線陣、槌と金床戦術と象兵〜

戦闘陣形は基本的に兵士を横に並べる横陣が基本で、それを左翼、中央、右翼の三つにわけてぶつかり合うのが当時の戦闘でした。

この戦い方だと戦闘の勝敗は兵の数と質に左右され、兵質に勝るスパルタは多くの場合多数の敵を少数で打ち破ってきました。

この際に構築されたのがギリシア十八番の戦闘陣形『ファランクス』です。丸太を意味するこの陣形は歩兵を密集させ、敵に兵士の塊を叩きつける戦術です。前衛が倒れても後衛がその穴を埋めることで、この陣形は強力な突破力を持ちました。

右手に槍を持ち、左手に盾を持ち敵にぶつかります。この陣形は衝撃力に優れますが、密集陣形であるために機動力に劣ります。

この密集陣形『ファランクス』は『ファランクス』でしか崩すことが出来ず、これを扱えるギリシア傭兵は精強で、敵国であるペルシア軍の主力歩兵部隊になったほどです。

さて、ギリシアにおいて戦争は『ファランクス』同士のぶつかり合いというだけだったのですが、これを変えたのがテーバイのエパミノンダスです。 エパミノンダスは左翼に多数の『ファランクス』を配置し、その他の位置にある『ファランクス』の数を減らしました。

一点に兵力を集中し、局所的な兵力優位を生み出すことによって、兵力を均等配置する敵を打ち破る『斜線陣』がこの時生まれました。

フィリッポス二世はテーバイでの人質時代、この『斜線陣』を体得してマケドニアに帰国します。
『斜線陣』を研究したフィリッポス二世はそれを発展させ『槌と金床戦術』を生み出します。
そして『ファランクス』を攻撃型の陣形ではなく、防御陣形として発展させることに成功し『マケドニア・ファランクス』を作り上げました。

『マケドニア・ファランクス』は『ファランクス』の亜種です。違いは使用する武器と盾の大きさです。 槍は通常の倍、六メートルに近い長さの長柄槍『サリッサ』を装備し、武器が重くなった代わりに盾を小さくし、それを首と肩から吊るしました。

これにより、兵士は盾を持たずにすみ、両手で重い武器を持ちます。『マケドニア・ファランクス』は機動力と引き換えに強力な防御力を与え、敵の歩兵の突撃を抑えきるに足る力を生み出しました。

フィリッポスは『マケドニア・ファランクス』と『斜線陣』を融合させ、そこに騎兵を加えることで『槌と金床戦術』を生み出します。『マケドニア・ファランクス』の防御力で敵を受け止め、『斜線陣』を生かして軍を旋回するように機動させ、騎兵の機動力で敵を包囲、撃破します。

騎兵が敵を打撃するハンマーであり、歩兵は敵を抑える壁とします。これを鍛冶屋が使用する槌と金床に例え、フィリッポスが操るこの戦術を『槌と金床戦術』と呼びました。

これによりマケドニア王国は最強の軍事力を誇り、ペルシアを征服します。インドの統一王であるチャンドラグプタは、インドに侵入したアレクサンドロスに接触し、この戦術をコピーします。

『槌と金床戦術』を習得したチャンドラグプタはインドの統一に成功、この戦術の有効性を証明するエピソードであると言えます。

この戦術をより強力にする存在が戦象でした。馬が嫌う臭いを放って騎兵を蹴散らし、槍を構えた歩兵陣形を正面から轢殺する象兵は強力な新兵器でした。

東征において象兵の力を知った後継者たちは自軍に対し、積極的に象兵を取り入れ、『槌と金床戦術』はさらにその力を発展させます。

象兵と『槌と金床戦術』を併せ持つ後継者諸国――ヘレニズム国家が沈没するにはカルタゴの戦術をコピーしたローマによる、新たな戦闘教義の発生を待つ必要がありました。

ローマの新戦術は古代から存在する陣形『レギオン』と、ライバルであったハンニバルの『騎兵による包囲戦術』が根底に存在しました。

まず『騎兵による包囲戦術』は、言ってみればアレクサンドロスの『槌と金床戦術』の発展型です。片翼包囲か両翼包囲かの違いだけで、致命的な差ではありません。勝負を決めたのは騎兵ではなく、歩兵の運用でした。

ローマはギリシアから文明を取り込んだ未開国家であった時期があり、日本と中国の関係に似ている状況でした。当然、戦闘教義もギリシアから取り入れ『ファランクス』を長く使用していました。

しかし、ローマの敵に、散開したゲリラ戦を得意とする敵がいました。山岳戦において『ファランクス』は鈍重であり、機動的な戦術は苦手でした。そこで、平地、不整地両方で高い戦闘能力を持つ戦術が必要となったのでした。

そして開発された陣形が『レギオン』です。平地で最大の力を発揮することのみを考えた『ファランクス』と設計思想の違うこの陣形は、ローマ特有の必殺陣形となりました。

では、装備の違いから見ていきましょう。『ファランクス』は重装甲の兵士に盾と槍を与え、『レギオン』は盾と剣を与えました。盾を正面に突きだし、その隙間から武器を出してぶつかり合う歩兵戦闘において、ローマは射程の長い武器は必要ないと考えました。

そのため、本来なら補助武器にすぎない低射程の剣を主力武器にしたのです。この効果はすさまじく、槍と違い携行に優れた剣を持つ『レギオン』は装備面からして機動性に恵まれていました。

機動性の高さは攻撃力の高さにつながります。さらに『レギオン』は特異な陣形から非常に攻撃的な性格を持っていました。120人から160人で構成される中隊。それを間隔をあけて横に並べる列を、その隙間を埋めるように三段に並べたこの陣形は、上から見ると千鳥状になっています。

これが意味することは、戦いながら戦力の集中点を変更できるところです。機動力に優れた『レギオン』は中隊の密度をコントロールすることによって陣形を大きく変えることなく戦闘力の集中点を自在に操ることが出来ます。傭兵ではなく、士気と錬度を併せ持つローマだからこその必殺陣形と言ったところでしょうか。

さらに、『レギオン』は『ファランクス』よりも高い柔軟性を見せつけます。『レギオン』の高い機動力は、歩兵による機動戦を可能とします。

槍を持つ『ファランクス』より柔軟に機動できる『レギオン』は戦闘中に、騎兵を用いずとも包囲戦を展開してしまうほどにすさまじい機動を可能とします。

歩兵の戦いが勝利を決める古代において、『ファランクス』が『レギオン』に最終的に敗れるのは、おかしなことではありません。

よく耳にする言葉で、『マケドニア・ファランクス』を持つヘレニズム国家がローマの『レギオン』に敗れた理由を「後継者たちは槍の長さをさらに長くすることで機動力を失い、それで敗れた」と主張する人間を見ます。

ですが、彼らは同じ口で「信長は他の武将たちよりも射程に勝る三間半(6.3メートル)の槍で他家の足軽を圧倒した、素晴らしい」とか平然と言ってのけます。機動力が落ちる点にはノータッチでしょうか。なかなかのご都合主義と言えます。

はっきり言いますが『レギオン』は、『ファランクス』はもとより『マケドニア・ファランクス』よりも優れていると言えるでしょう。ただし、それは当時においてのみであり、さらにある一定の視点においてはという限定条件下でのみですが。

では、考察しましょう。まず、当時は歩兵戦闘が主体でした。歩兵同士のぶつかり合いが勝負を決める中、上記三つの陣形に大きな戦闘能力の差はありません。

攻撃力や機動力で見るなら、レギオン>ファランクス>マケドニア・ファランクス。
防御力で見るならマケドニア・ファランクス>ファランクス>レギオンとなるでしょう。

つまり、歩兵同士でぶつかるだけなら大差はありません。山岳地帯や機動戦をやるなら『レギオン』が上ですが、騎兵の機動のために敵をひきつける金床としては防御力に優れる『ファランクス』や『マケドニア・ファランクス』がその上を行きます。

ですので、勝負は騎兵と歩兵の有機的な使い方にかかっており、歩兵と騎兵の機動力を重視したローマが『レギオン』という利点で優位に立ち、ヘレニズム国家を圧倒したというだけに過ぎません。

その証拠に、ハンニバルの『ファランクス』を主体とするカルタゴ軍に、『レギオン』を主力とするローマは何度も敗北しています。

戦いはあくまで騎兵と歩兵を有機的につかった方が勝利するだけであり、歩兵陣形の優劣は致命的ではありません。

その証拠に騎兵を効果的に使ったハンニバルは『レギオン』相手に連勝し、歩兵を有機的に使ったスキピオは歩兵の機動性を生かして幾度も勝利をあげています。そして、最後は騎兵の力を前面に押し出し、戦術の師であったハンニバルにさえ勝利しています。

結局、騎兵と歩兵の共同運用の如何が勝負を決めたため、格上の『レギオン』相手でも、平地であれば『ファランクス』は引けを取らずに戦うことも可能であったのです。

ですが、機動特化の『レギオン』も没落の日が訪れます。それは、戦闘の主力が歩兵から騎兵に移り変わる時代の到来によって引き起こされたのでした。

鐙を手に入れ、歩兵を上回る速度と攻撃力を備える騎兵という圧倒的な暴力に、歩兵はなすすべもなく補助兵科という存在に崩れ落ちました。

『レギオン』が強力な騎兵に対抗できなくなった理由は彼らの武器にあります。射程の短い剣は騎兵に対して有効な武器ではなく、歩兵の武器はやがて射程の長い槍に変更され、歩兵はある程度の戦闘能力を保ちます。これが逆転するにはパイクの登場を待つ必要がありました。

多くの人間が騎兵を防ぐために長すぎる槍を持つのは機動力を失ってしまって危険と考える中、6メートルを超える長柄槍であるパイクを持つスイス傭兵は、平地という騎兵の天国で騎兵を圧倒しました。

こうして長柄槍は忘れられた古代から蘇生し、長柄槍による歩兵陣形が復活します。

パイクによる歩兵陣形は過去に存在した『マケドニア・ファランクス』の正当後継者であはありません。パイクによる歩兵陣形は騎兵に対する防御のために造られましたが、『マケドニア・ファランクス』は歩兵に対する防御のために存在していたのです。

つまり、運用思想がまるで違ったわけですね。

中世においては騎兵が最強であり、それに対抗するために歩兵は機動力を捨てて長柄槍を装備する必要がありました。そこに剣を主力武器にする余地はありません。

逆に古代において騎兵が脆弱であった時、長い槍を持つ必要はなく、機動力を重視した『レギオン』に西洋世界を支配する力を与えました。

結論を言いますが、『マケドニア・ファランクス』は平地における防御戦において最強であるというだけで、他の陣形を圧倒する存在ではなく、機動力に優れた『レギオン』を相手に苦戦せざるを得ない存在であると言えます。

ですが、その潜在能力は対歩兵ではなく対騎兵にあり、その優秀さから中世を終わらせる存在として洋の東西を問わず活躍した、すさまじい存在であるとも言えます。

長文になりましたが、『マケドニア・ファランクス』と『レギオン』に関する考察に最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございます。

『レギオン』は本来、別の場所で説明するべき陣形でしたが、ヘレニズム国家の存在と深くかかわりがあるので、この項で紹介させていただくにいたりました。



〜まとめ〜

アレクサンドロス大王が活躍した時代は、その前後を含めて世界史上でも驚くべき戦闘教義変遷の時代であるとも言えます。

六メートルを超える長柄槍『サリッサ』、戦争を変えた騎兵と『戦象』。特に戦象については、世界史で最も戦象が活躍した時代というだけあって、象好きの人にはたまらない時代なのではないでしょうか。

戦記を面白くさせる要素である群雄割拠状態における戦闘の連続は、西洋史でありながら戦国史や三国志と言った戦乱の時代を彷彿させるものであると考えます。中でも、世界最大の後継者戦争であるディアドコイ戦争は世界戦史においても特に熱い時代であると考えます。

一代で築き上げた大領土。風雲児の大活躍と死後の混乱。後継者たちの群雄割拠。数百年後に訪れる無敵戦術のなれ果て。

熱血と哀愁を漂わせるこの時代を、一人でも楽しんでくれる人が増えることを、管理人は望んでやみません。


では、最後にマンガや小説を紹介させていただきます。






〜マンガ〜


アレクサンドロス―世界帝国への夢

安彦良和先生執筆のアレクサンドロスマンガ。 後継者の一人、リュシマコスを主人公にすえて横から東征を眺めるという作品。超傑作。



〜歴史本〜

アレクサンドロス大王―「世界征服者」の虚像と実像 (講談社選書メチエ)

古代マケドニア王国関連の最重要文献を紐解きながら当時を描こうと試みる歴史本。この人に後継者戦争まで書いて欲しかったくらい読みやすい本でした。



アレクサンドロス大王の軍隊―東征軍の実像 (オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ)

歴ヲタ御存知メンアットアームズ・シリーズ。当時の軍装を絵や写真を交えて紹介してくれるハイクオリティな資料本です。弱点は高いことくらいでしょうか。




以上の作品を紹介して、アレクサンドロス大王生存前後時代の解説を終わらせていただきます。


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